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私ではなくキリストⅢ(東洋からの風の便りII)

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」(ローマ6:6)

主と二人きり

たった一日だけを目処に、遠い町から家探しに来たとき、
このアパートのベランダから外をのぞいて、
こんなところに住めればいいなあ、と思った。

昭和何十年代に建てられた、ガタのきそうな団地(失礼!)の中で、
参考までにのぞいてみたらどうですかと勧められた、
かなり今風にリフォームされた珍しい一室だった。

窓の外には、一面、山の緑。珍しい鳥々のさえずりが聞こえ、
高みから、地の家々と青々とした庭を見下ろせる。

左手には、夕暮れになると、きらめく街の灯りが広がり、
右手には、見上げると、丘の上にまばらに立っている木々の向こうに、
どこまでも空が広がっている。

この高度では、虫たちは、ほとんど寄って来ない。
ただ翼ある鳥だけが棲む領域。
だから、まだ寒くない今は、
一日中、網戸のない窓を開けっぱなしにして、
さわやかな空気を吸い込もう。

本当に、主は私をこの地に住まわせて下さった。
地だけれど、地ではない。
限りなく天に近く
御前にただ一人の祭司として 主に仕える
その何と甘い、麗しいひと時。
何という 秘めやかなぜいたくだろう。

けれど、明らかに、私だけのため、ではない。
何よりも、それは主との蜜月のため。
そして、今から生まれようとしている エクレシアのため。
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