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私ではなくキリストⅢ(東洋からの風の便りII)

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」(ローマ6:6)

村上密・杉本徳久の両名を被告とした民事訴訟(第一審)の総括(7)―唐沢治と杉本徳久のメール文通―彼らのために真理の道はそしられるのです。

5.唐沢治が杉本徳久と交わしたメール(牧師としての秘密漏示)
 
「かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽預言者が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。
彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。」(ペテロニ2:1-3)


彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。天使たちは、力も権能もはるかにまさっているにもかかわらず、主の御前で彼らをそしったり訴え出たりはしません。この者たちは、捕えられ、殺されるために生まれてきた理性のない動物と同じで、知りもしないことをそしるのです。そういった動物が滅びるように、彼らも滅んでしまいます。」(ペテロニ2:10-12)

当ブログ執筆者を日夜誹謗している掲示板には、多くの「杉本用語」「村上用語」「唐沢用語」が登場する。本人が書き込んでいるかどうかまではまだ不明だが、以下のコメントで使われている「脳内空転」という言葉も、唐沢治のお気に入りの用語である。



口汚い言葉で筆者を罵っているこのコメントに登場するこの言葉は、以下に示す通り、唐沢が杉本に宛てて書き送った、当ブログ執筆者を罵倒するメールにも登場している。

だが、今は掲示板について話す前に、まずは唐沢治がどのように杉本徳久の圧力に屈し、牧師としての守秘義務を破って、当ブログ執筆者の個人情報を杉本に売り渡し、筆者を陥れて、杉本を筆者に対立させるよう仕向けて行ったか、唐沢治が用いた巧妙な策略について、今回の裁判において新たに判明した事実を提示しながら、振り返っておきたい。

* * *

➀ 唐沢治が杉本徳久に2010年に民事提訴を予告した経緯

唐沢治は、KFCの元信徒が、杉本が2009年に当ブログをバッシングするために発表した記事のコメント欄に、「唐沢から密室で呪いの予言を受けた」という趣旨のコメントを書き連ねたことをきっかけに、2010年にこの元信徒を刑事告訴した上、その事件を自分に有利に解決するために、筆者に警察での証言を頼んで来た経緯がある。

さらに、唐沢治はこれと前後して、筆者に対するバッシング記事を取り下げさせることにより、都合よくKFCの元信徒の書き込みも削除させようという名目で、杉本に宛ててメールを送り、そこで筆者に(はおろか他の誰にも)何の断りもなく、一方的に杉本に民事提訴を予告するという暴挙とも言える行動に出た。

唐沢が杉本に提訴を予告した目的は、KFCの元信者の書き込みについて、杉本による幇助の責任を追及するためであったことは、杉本ブログに2010年8月23日付で投稿された記事「唐沢治からの民事提訴の通告」に、以下の通り、唐沢自身のメールとして公開されている通りである。



 

「また杉本さまにつきましては、メールや私に関する書き込みなどを当局に提出し、一応幇助罪の適用の可能性を検討していただき(あまり高くはないかと思いますが、掲示板管理人が書類送検された事案がありましたね)、また民事提訴させていただきます。法的構成は2ちゃんねるの西村氏と同じ立場になるかと思いますが、後ほど弁護士からご連絡させていただきます。

「容疑者検挙や事実関係の詳細などにつきましては、おいおい私のブログで公表してまいります。なお、私からの直接のご連絡はこれを最後とし、今後は弁護士経由でご連絡させていただきます。

ここに書かれている通り、唐沢はこの当時、杉本に対し、KFCの元信徒による書き込みについて、幇助の可能性を問うため、民事提訴を予告し、以後、杉本への個人的な連絡は一切控え、弁護士を通じて連絡する、と通告したのである。

繰り返すが、この提訴予告は、唐沢があくまで自らの権利を擁護する目的で、杉本に通告したものである。

それにも関わらず、唐沢は、誰にも何の説明もないまま、自ら行った提訴予告を実行に移さなかった。それゆえ、唐沢の提訴予告に激怒した杉本は、唐沢をブログで激しく中傷したのみならず、筆者や、エシュコル氏など、当時のKFC信者に宛てて、幾度となく、唐沢の提訴予告のことで、事の次第を明らかにせよと、信者をなじるメールやコメントを書き送った。

筆者は当時、このような杉本の行為に当惑させられていたが、唐沢はどこ吹く風といった態度であった。

なぜ唐沢は、誰にも何の説明もなく、杉本への民事提訴の予告を実行に移さなかったのか。その理由として考えられるのは、唐沢は勇み足で杉本に提訴を予告したものの、その後、調べてみると、杉本ブログに投稿されたKFCの元信者のコメントについて、ブログ管理者としての杉本に幇助の責任を問うことは、ほぼ不可能であることが分かったのではないかということである。

ちなみに、本訴訟でも、コメント投稿欄に投稿された内容について、ブログ管理者は責任を負わないという判断が出ている。

つまり、唐沢は、杉本に提訴予告した後になって、先に通告した理由では、訴訟を提起しても、勝ち目がないことを悟ったのではないかと見られる。だが、そのことを、唐沢はプライドゆえに、決して誰にも明かしたくなかった。提訴を取りやめたと言うことさえ恥であると考えたのではないか。

それゆえ、なぜ提訴を実行に移さないのか、誰にも説明しないまま、唐沢は沈黙を決め込み、時間を稼いだのではないかと見られる。

だが、もしも唐沢が誠実な人間であったとすれば、先に通告した理由で提訴が困難と判明しても、別な手段で杉本に立ち向かう道が残されていた。それは、唐沢が自分自身への誹謗中傷を理由に、杉本を訴えることである。

なぜなら、提訴を予告されて激怒した杉本は、上記の記事で、唐沢治を「精神家きどりのやぶ医者ごっこ」をしているだけの「預言者気取りでエセ精神病理学の専門家」と呼び、「ある種の痛々しさ」は唐沢の病的な心理に潜んでいるものであろう。」とか、「こういう洗脳、心理操作の台詞をいともあっさり他人に対して次々に放って恐怖心を射貫き、心理的に相手を圧して支配していく手法。」などと記し、唐沢は、心理操作の手段として、杉本に提訴を予告したのであって、これはスラップ訴訟であると決めつけ、「これが独裁カルトの新興宗教、誇大妄想信仰の恐ろしさである。」などと、あらん限りの非難・中傷の言葉を唐沢に浴びせた上で、ついには「唐沢治のキングダムフェローシップチャーチ(KFC)は、見まごう事なき異様な独裁カルトである。」とまで結論づけていたからである。

杉本が唐沢の実名に対して向けた以上のすさまじいまでの記述は、当時、十分に名誉毀損に相当する不法行為となり得たのであり、もしここで唐沢が杉本を民事提訴していれば、杉本は一巻の終わりとなっていたものと見られる。

ちなみに、杉本がこのように誰かから非難を受ける度に、より深刻な権利侵害を行っては、罪に罪を増し加えて行った様子は、筆者と杉本との間に起きた紛争においても、共通して見られた現象である。

たとえば、2017年に筆者が杉本に脅しメールやバッシング記事について反省と謝罪を促し、念書を差し入れた時点では、杉本による不法行為は成立し得たかどうか分からなかった。脅しメールは過去のものであり、バッシング記事では実名も出ておらず、権利侵害が成立したかどうかが分からないためである。

ところが、杉本は和解を断っただけで終わらず、それを機に、筆者のメール等を無断で公開しながら、筆者に対する人格権の侵害、名誉毀損・侮辱に及んだ。この時点で、杉本による明白な不法行為が成立したのである。

さらに、筆者が杉本の不法行為の存在を知って、2018年2月に、杉本を刑事告訴の上、民事調停を提起した時点でも、まだ杉本による明白な不法行為は、2、3本の記事にとどまっていた。ところが、筆者が調停を提起した後で、杉本はさらに20本ほどのおびただしい数の名誉毀損に相当する記事を投稿し、自ら賠償を重くして行ったのである。それゆえ、杉本の不法行為は、まさしく訴訟にふさわしいインパクトを持つものとなった。

杉本が唐沢に対して2010年に行ったことは、それととてもよく似ている。当時、唐沢が杉本にぶつかって行ったことにより、杉本の内側に隠れていた罪深い内面が、思い切り外にぶちまけられたのである。

このことは、神の子供たちには、霊的な視力によって、自分に害を加えようとしている敵の不法行為を、それが実際に成し遂げられるよりも前に、察知し、彼らの本質を見抜き、これを明らかにする役割が備わっていることを示している。

我々が暗闇の勢力と接触する時、我々の宣言によって、暗闇の勢力の内実が明らかにされる。村上密の場合も、同様であった。筆者が村上を訴えた時点では、村上の不法行為の証拠は固まっていなかった。しかし、第一審が終結した時点で、村上は無罪放免されたにも関わらず、自ら不法行為に及んで、自分を不利に陥れたのであり、そうなったのは、筆者が村上と接触し、村上を糾弾したことにより、村上の内面が外に現れたのだと言える。

話を戻せば、仮に唐沢が杉本に提訴を予告した時点で、杉本の明白な不法行為が成立する要件が十分に整っていなかったとしても、だからと言って、唐沢は敗北すると決まっていたわけではなく、その提訴予告に激怒した杉本が、ブログで唐沢を誹謗中傷し始めた時点で、杉本には不法行為が成立する要件が十分に揃っていたのである。従って、その機に乗じて、唐沢が杉本に対して断固たる措置に出てさえいれば、杉本にまつわるすべての問題は、それ以上拡大することなく、終了していた可能性が高い。

ところが、KFCの元信徒を訴えることにはためらいがなかった唐沢が、自分自身の名誉と人権を守るために、また、自分の率いる集会KFCの正統性を守るために、杉本の主張に毅然と立ち向かうことをしなかった。

このようなことは、唐沢が当時から真理に生きていなかったからこそ、起き得たことであると筆者はみなしている。

唐沢が、自分に盾突いたKFCの元信徒には容赦のない措置を取りながらも、杉本を訴えることを躊躇したのは、唐沢の心の中に、杉本を「延命させておきたい」という願いがあったからだではないかと考えられる。

つまり、唐沢は、真のクリスチャンを抑圧するための手段として、杉本を残しておくことに価値を見いだしたのではなかと考えらえるのだ。少なくとも、唐沢があの当時、本気で杉本に立ち向かっていれば、杉本は簡単に倒されたことであろうが、そうなることは、唐沢にとっても、まずい事態だったからこそ、唐沢はそれを実行しなかったのである。

このようなことは、唐沢が真のクリスチャンであれば、起き得ない事態であり、むしろ、その逆であったからこそ、唐沢は杉本を上手く使えば、クリスチャンたちを弾圧する手段として利用できることを知っていたのではないかと予想できる。

また、筆者から見れば、唐沢は、自分が傷つけられたときに、正当な方法で、自らを擁護することができない性格であった。杉本も、村上も、唐沢も、みなこの点で共通している。彼らは、自分を脅かした敵に対して、いつまでも執念深く報復措置を加えることはあっても、どういうわけか、正当かつ合法的な手段を用いて、紛争を早期に終わらせ、自己の正当な権利を取り戻すために戦うことができない。

だから、彼らはどんなに戦っても、戦えば戦うほど、その成果が薄れて行き、何も成果が残らないのである。このようなことは、自己を非常に深いレベルで傷つけられて、自分を防御できなくなっている人々に共通する。
 
いずれにせよ、唐沢が杉本の主張に毅然と立ち向かうことをせず、その口を封じる行為に及ばなかったがゆえに、杉本が発した呪いのような言葉が、唐沢の身の上に徐々に成就して行くことになったものと筆者は見ている。


* * *

② 唐沢治自身が認めている2013年にKFCで鵜川貴範が起こした「クーデター」

筆者は2012年にKFCを去ったが、そうなるまでの間に、KFCは杉本が述べた通り、「見まごう事なき異様な独裁カルト」と呼ばれても、致し方ないのではないかというほどの惨状に陥っていた。

(とはいえ、2012年が来るまで、KFCには複数のメッセンジャーがいたため、独裁という言葉は当てはまらない。しかし、2013年にKFCが解体されて、2015年に唐沢がフルタイムの牧師になった頃には、まさに以上のような状況が生まれた。)

筆者は、2011年から2012年頃にかけて、KFCで起きたクーデター事件について、「アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒による他教会(KFC)乗っ取り事件」にまとめている。

この事件を要約すると、当時、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の現役信徒であった鵜川貴範が、Br.Takaという名で、身元を隠してKFCに潜入、2011年頃にはKFCの中核的なメッセンジャーとなり、唐沢の信用を得た。

この頃、筆者は、他教団の信徒であるにも関わらず、身元を隠してKFCに入り浸る鵜川夫妻に多大なる疑問を持つようになり、唐沢にこの夫婦は何を目的にKFCに来ているのか分からないので、注意した方が良いと、クーデターの可能性を告げて警告したが、鵜川夫妻に心酔していた唐沢は、2012年になって、危険を警告した筆者を、夫妻と一緒になって非難、呪った挙句、KFCから追放した。

彼らは筆者を仕事の後で呼び出し、「悪霊に憑りつかれている」だの「そのままでは滅びる」だの、まさしく陳腐な呪いの予言としか言えない言葉を三人でかわるがわる浴びせて、筆者にKFCに来ないように求めたのであった。

この事件が起きたことにより、筆者は初めて、唐沢が「人を呪うような人間ではない」と考えていた以前の見解を改め、唐沢がKFCの元信徒を刑事告訴した事件でも、唐沢が嘘をついている可能性があると疑うようになった。

なお、鵜川のクーデター事件については、唐沢自身が2014年4月30日のブログ記事「お知らせとご注意」で、KFCで当時、確かに「クーデター」が起き、自分が一時、メッセンジャーを降格させられていたこと、鵜川の策略によって、KFCの会堂契約が無効になり、さらに偽サイトが開設されたままになっている事実を自分で記している。

この記事で、唐沢がクリスチャン・トゥデイに掲載された鵜川貴範に関する記事にリンクを貼っていることを見ても、この事件をおこしたのが、まさしくアッセンブリー教団所属の鵜川貴範であったことは明白である。

「*1:端的に言えば、2013年1月初旬、クーデターが起き、Dr.Lukeが一切の働きを封じられて追放された次第。
*2:チャペルに関してはそのまま彼らが使用したいとのことで、2013年9月末に私の契約解除を申し入れ、12月に彼らが契約することになっており、不動産屋との交渉も開始されておりましたが、12月になり彼らは突如チャペルから逃亡しました。こちらからと不動産屋の連絡に対しても一切の応答はなく(携帯もメールも遮断)、よって契約の意思なしとして、チャペルは契約解除され、もちろん彼らの契約下にはありません。よって「公式サイト」の記載は偽りですので、私宛の来訪者が一部おられるようですが、ご注意ください。」





以下は、唐沢が、KFCでクーデターを起こした「メッセンジャー」という文字に、リンクを貼っている鵜川貴範に関するクリスチャントゥデイの記事



このように、鵜川貴範によるKFCのクーデター(乗っ取り)事件は、唐沢治自身が、その存在を認めたものであった。

この事件のために、KFCは会堂を失い、一時は閉鎖に追い込まれていたが、KFCの残党がその後、結集して、また新たに唐沢治を担ぎ上げ、まるでエリコの町を再建するように、会堂がないまま、現在のKFCを作り上げたのである。

こうして再建されたKFCは、前よりも一層ひどいものとなり、唐沢は以前からサンダー・シングなどのオカルトに影響を受けていたことに加え、新しくリニューアルしたホームページの中では、ニューエイジ、禅など、ありとあらゆる非キリスト教的教えから無分別に影響を取り込んだことを隠し立てもしていない。

そして、唐沢自身も、以前は女学生から人気があると自慢するために続けていたような大学講師の職を、2015年に「神の啓示を受けた」として、KFCの牧師業に専念するため、自ら辞した。それによって、アカデミズムを去り、学術研究者としてのキャリアも捨てて、公に心理学の専門家を名乗ることのできた根拠をも自ら捨て去ったのである。

唐沢が大学講師の職を自ら辞したことは、KFCホームページに掲載されたプロフィール欄でも確かめられる。

 

* * *

③ 唐沢治が当ブログ執筆者の個人情報を杉本徳久に漏洩した経緯

・唐沢治が坂井―杉本裁判に当ブログ執筆者のメールを無断で提出(2013年)


筆者は、2012年にKFCを去って以後、唐沢とは何の関係もなくなっていたが、唐沢の方では、うわべは一切の関わりがなくなったように見せかけながら、水面下では、色々と筆者を争いに巻き込むために画策していたようである。

まず、唐沢は、杉本が2013年に坂井能大を民事提訴した際、坂井を支援するという名目で、筆者の了承を得ないまま、筆者の個人情報を含むメールを無断で坂井に書証として提出させた。

このメールは杉本の手に渡り、それが、杉本が筆者の個人情報を特定する根拠の一つとなったと、杉本は筆者との訴訟において認めている。

唐沢は、筆者があたかもメールの提出を許可したかのように述べ、また、筆者と坂井との間で、何らかの「協力関係」が構築されていたかのように弁明を重ねているが、それはすべて事実に反する。

筆者が、唐沢に坂井の裁判にまでメールの提出を許可したことは一度もなく、筆者は坂井とはいかなる協力関係にもあったことがなく、面識すらなく、連絡を交わしたことも一度もない。

しかも、杉本―坂井裁判が行われていた時、唐沢は筆者を呪った挙句、KFCから追放したのであって、筆者はすでにKFCを完全に離れ、唐沢の影響下にもなく、ブログも閉鎖しており、裁判のことも知らなかった。

それにも関わらず、唐沢は筆者の同意を得ないまま、あたかも筆者を遠隔操作で杉本との対立に引き込むかのように、筆者のメールを裁判に提出し、まるで筆者がこの裁判を支援しているかのように「演出」したのである。

この裁判で、坂井は杉本に敗れ(杉本の言葉によると、杉本の勝訴的和解に終わったという)、それによって、坂井と杉本だけでなく、坂井を支援していた唐沢と杉本との対立関係にも、終止符が打たれた。

唐沢は、こうしてもはや杉本の記事を、自分への名誉毀損だと主張する根拠さえ、自分から手放したのだと言えよう。

だが、唐沢は杉本に降伏したことで、KFCが杉本の予告の通り、「見まごう事なき異様な独裁カルト」へと転じる最後の歯止めを自ら外したのだとも言える。


・唐沢治が杉本徳久と交わしたメール文通(2016年―2018年)

その後も、唐沢は2010年に、杉本に対する個人的な連絡はこれを最後とし、以後、弁護士を通じてしか連絡を取ることはないと通告したことなど、全く忘れたかのように、杉本とのメール文通を重ね、そこで牧師としての守秘義務を破って、筆者の個人情報を次々とメールで杉本に提供するようになった。

その結果、唐沢が次々と筆者をいわれなく不利に陥れるような情報を杉本に伝え、杉本がそれを受けて、その情報を筆者を誹謗中傷する材料として使用するという「連携プレー」がなされた。

そのようにして、唐沢が信徒の個人情報を杉本に漏洩していた事実は、杉本が第一審で筆者に書証として提供した一連のメールを通して明らかになった。

杉本はおそらく唐沢に筆者を裏切らせたことが、よほど嬉しかったのであろうと思う。筆者を悔しがらせようと、あえてこの恐るべき悪事の証拠を自ら書証として公の場に持ち出して来たのである。

唐沢が2016年に筆者を指して「脳内空転」と罵った次のメールも、杉本が書証として出して来たものである。

 
1.唐沢が杉本と2016年に交わしたメール。この時点では、唐沢は筆者を「脳内空転」と罵っていたが、まだ秘密漏示には及んでいなかった。

ここで唐沢は、依然として杉本ブログには、唐沢を中傷する記事が掲載されているにも関わらず、杉本と対立する大義はもうなくなったなどと、杉本に対する事実上の和解宣言をしている。

さらに、このメールは、唐沢が、杉本を批判するために書いた記事の削除を、杉本から求められ、それに返信したものであるが、唐沢は杉本の怒りが自分に向かないように、巧妙に筆者の話に話題をすり替え、筆者を「脳内空転が強い」などという言葉で罵ることによって、杉本の注意を筆者に引きつけている。

杉本は、この悪口にも早速、飛びついたと見られ、あたかも筆者が精神異常に陥っているかのような根拠のない自説の裏づけとして利用して行った。

さらに、唐沢はまだこの時点では、秘密漏示には及んでいなかったが、その後も、杉本とのメール文通を重ねるうちに、ますます事実に基づかない、もしくは極度に誇張された情報を盛んに杉本に漏洩しては、杉本が筆者を中傷する行為を助長・容認するようになった。

唐沢はその過程で、杉本の怒りを自分から逸らすために、自分が過去に杉本に行った提訴予告すらも、まるで初めから唐沢の権利を擁護するためのものではなく、あたかも筆者の権利を守るために、筆者から促されて仕方がなく行ったものであるかのように、巧妙に主張をすり替え、その嘘を杉本に信じ込ませた。

そのことは、以前に書いた記事でも示した通りであるが、以下にも唐沢のメールを再掲載する。


2.2017年1月のメールでは、唐沢は杉本に対して虚偽の情報を提供しては、筆者を不利に陥れようと画策していたことが分かる。

唐沢は2017年1月に杉本に宛てたこのメールで、自分が無責任にも実行に移さなかった提訴予告のことで、責任を棚上げしようと、「彼女から提訴を何度も求められましたが、実名が出ておりませんので、彼女の件では動けなかったわけです。」などとうそぶき、2010年に自分が杉本に行った提訴予告が、あたかも筆者の権利を守るために、筆者が唐沢に杉本を訴えるよう促したものであったかのように話をすり替え、虚偽の事実を杉本に伝えた。

だが、唐沢は以上で述べた通り、そもそもの初めから、KFCの元信者による書き込み幇助の責任を問うという、自分の権利を擁護するために杉本に提訴を予告したのであって、筆者が唐沢に杉本を提訴してくれ、などと頼んだ事実はない。また、唐沢は筆者の代理人でもないのだから、仮に筆者の権利が侵害されたとしても、それを理由に唐沢が杉本を訴えることなどもとより不可能である。

それにも関わらず、唐沢治がこのように虚偽の事実を杉本に伝えたのは、自分から杉本に(勝ち目のない理由で)提訴を予告したにも関わらず、これを実行しなかった自らの責任を、巧みに筆者に転嫁することで、杉本の怒りを筆者に集中させて、矛先を逸らし、さらに筆者を杉本との争いに全面的に巻き込んで行くための巧みな心理操作であったとしか言いようがない。

さらに、唐沢はこのメールで、2012年に筆者をKFCから自ら追放しておきながら、2013年になって、唐沢とは何の関わりもなくなっていた筆者が、あたかも坂井の裁判を「応援したい」と述べた事実が存在するかのように、虚偽の事実を杉本に伝えている。そして、あたかも、筆者の許可を受けて、筆者のメールを坂井に書証として提出させたかのように自己弁明している。

だが、筆者は坂井とは現在に至るまで、いかなる面識もないだけでなく、その当時、ネットから遠ざかっていたため、坂井と杉本の二人の間で、そのような裁判が行われていた事実さえも知らず、唐沢は筆者に坂井の裁判について伝えるメールを送ったと主張するが、そのメールを筆者は読んだ記憶もなければ、返信した事実もない。むろん、見ず知らずの坂井の裁判へのメールの提出を許可した事実などあるはずもない。

だが、杉本はこのような唐沢の巧みな心理操作に乗せられ、2013年に坂井を訴えた裁判で、筆者があたかも坂井+唐沢の援護射撃に回っていたかのように信じ込んだだけでなく、さらには、坂井の裁判までが、筆者が陰で糸を引いて、坂井を巧妙に焚き付けて杉本と衝突させたものであるかのようにまで信じ、そうした虚偽を、後にまことしやかにブログで吹聴しては、筆者を断罪し、名誉を傷つけたのである。

いずれにせよ、唐沢にとって、そうした嘘を杉本に信じさせるのは、全く困難ではなかったと見られ、こうして唐沢は、筆者について嘘を吹き込むことで、筆者を杉本との全面的な対立に至らせるきっかけを作って行ったのである。

唐沢が、常日頃から、「自分には人の気持ちが読める。人を操るなど簡単だ」と豪語していたことを思い出しても、このメールで、唐沢が「杉本さんが彼女を告訴する/しないは、もはや私が関与することではありません。」と、あえて杉本が筆者を告訴することを認めるような発言を行っていることも見逃せない。

この言葉から、唐沢が、できれば、杉本がヴィオロンを訴えてくれれば、非常に都合が良いのに、と考えていた様子がひしひしと伝わって来るように感じられる。
 
この他にも、唐沢は杉本に対し、秘密漏示に当たるメールを送信している。

 
3.2017年5月に唐沢が杉本に書き送ったメール。このメールで、唐沢はいくつもの信徒の個人情報を杉本に漏洩し、秘密漏示に及んでいる。

このメールで、唐沢は以前よりもさらに積極的に、杉本が筆者を中傷する材料を得られるよう、筆者に関する情報を捏造・歪曲する形で、杉本に伝えている。

唐沢が杉本に漏示した情報は次の通りである。
1.家庭の事情(何かしら深刻重大な事情があるかのような思わせぶりなニュアンス)
2.信徒の人間関係(兄弟姉妹と「総当たりでトラブルを起こしている」という虚偽の情報)
3.実家の所在地
4.家族構成
5.家族との人間関係(家族と対立しているかのようなニュアンスを含む歪曲された情報)
6.生活状況(生活苦に落ちっているかのようなニュアンスを込めた書きぶり)

こうした情報を伝えられた杉本が、それに飛びつき、これを利用して筆者を名誉毀損する記事を書き始めたのは周知の通りであるが、その直接的なきっかけを作ったのは、唐沢治なのである。

むろん、筆者はKFCにいた時、「兄弟姉妹と総当たりでトラブルを起こした」事実もなければ、実家と対立した事実があるわけでもない。実際に、この年、筆者は700km以上の距離を走行して実家へ旅していることからも、それは明らかである。

だが、唐沢から歪曲された情報を提供された杉本は、これを鵜呑みにして、2017年から2018年にかけて、筆者が至るところで対立を引き起こし、実家とも対立して絶縁状態にある、などとする中傷を書き記して行くことになる。

その後も、唐沢と杉本は親しくメール文通を続け、二人を批判する筆者に対する「対策」を共に練っていたようである。


 
4.2018年5月、筆者が杉本と村上に対して提起した民事調停が決裂に終わる直前に唐沢が杉本に送信したメール。

以上のメールで、唐沢は、筆者の書いた記事が虚偽であるかのように述べるだけでなく、訴訟のアドバイスまで丁寧に杉本に書き送っている。

「この種の人物は些細な兆候や事実を膨らませます。杉本さんと村上さんが連携して彼女を追い詰め、さらに私が寝返って関わっていると言うわけですよね。ですから、その兆候のヒントを与えると彼女がますます増長し、彼女を利するわけです。

ゆえに杉本さんの態度としてはあくまでも「不知」がベストなのです。こうして私とメールをやり取りしていることも彼女には利益となるでしょう。」

こうして、次々と筆者を不利に陥れるような歪曲された情報を杉本に与えて、個人情報まで漏洩し、杉本が筆者を中傷・攻撃するきっかけを作っておきながら、よくも以上のように主張できるものだと呆れるばかりだ。

唐沢はこの当時、まさかこのメールを杉本が訴訟に提出することになるとは予想していなかったであろうし、それを願っていなかったと考えられるが(だからこそ、唐沢は杉本に「不知」で通すよう、余計なことを話さないよう勧めている)、それでも、独特の直観で、このメール文通の存在が、筆者の目に隠しおおせず、必ず、彼らにとって不利な証拠として利用され、いつか白日の下に晒される日が来ることを予見していたようである。

杉本はこのメールの中で、「ヴィオロンから民事調停を申し立てられていますが、卑怯なことに住所を秘しているため、こちらから反訴ができない状況です。」と述べている。筆者の情報をどこまでも集めたいがために、手あたり次第、筆者のかつての知人にメールを送りつけ、情報を聞き回っていたわけであるが、唐沢の反応を見る限り、唐沢は筆者を陥れるために、知ってさえいれば、どんな情報であれ、喜んで杉本に伝えたのではないかと疑われてならない。

筆者の目から見て、唐沢が杉本に嘘を信じ込ませることで、杉本の筆者に対する対立感情を煽った手法は、極めて狡猾なものである。下手に心理学などを学ぶと、このように他者の愚かさや弱さに付け込んで、他人の心を操り、手玉に取る術ばかりを、常人以上に身に着けてしまうのであろうか?

杉本に情報を提供してやることで、杉本を思い通りに動かし、筆者に対立させることなど、唐沢にとっては全く問題ではなかったであろう。だが、唐沢の誤算は、筆者が(信仰ゆえに)杉本よりも強く、杉本が筆者に打ち破られて終わると予測できなかったことにあった。

いや、筆者は、内におられる方のゆえに、杉本だけでなく、唐沢にも打ち破られるとは思っていない。唐沢が聖書の御言葉に立たないならば、真実なクリスチャンの前に立ちおおせる根拠は何もないのである。

* * *

④ 唐沢治の嘘とまことの混在した整合性のない矛盾だらけの主張

現在、唐沢は、筆者がKFCで起きたクーデター事件について、自らのブログ記事とは裏腹に、U(鵜川)夫妻がKFCを乗っ取った事実はないと否定し、さらに、筆者とは「牧師と信徒の関係にはなかった」などという荒唐無稽な嘘を主張している。

唐沢の巧妙な印象操作と詭弁に満ちた主張は、以下の陳述書でも如実に見て取れる。




これは筆者が昨年に申し立てた仮処分の申立に対する陳述書であるが(仮処分は訴訟に転じる予定で一旦、取り下げている)、唐沢はここで筆者が「神の啓示を受けた」などとして、あてもなく突然、横浜に尋ねて来ては、自分の孤独を切々と訴え、唐沢に面倒を見てもらおうとし、それを唐沢は親切にもケアしてやっていたかのように、虚偽の情報を記している。

しかしながら、事実は全くこのようではなかった。筆者は、2009年10月に横浜へ移住した際、確かに神が奇跡的に筆者の祈りに応えて、大きな恵みを与えて下さったことに喜んでいたが、「神の啓示」により、移住したと述べたことは一度もない。むろん、それ以後、生活について、いかなる形でも、唐沢から支援を受けたこともない。

むしろ、筆者が横浜に移住してわずか数日後に、唐沢の20年来の知己であり、ローカルチャーチ時代からの親友であったMr.Sugarを名乗る年長の兄弟が、「唐沢は非常に危険な男であるから、近寄るべきではない」と筆者に向かって真摯に忠告したため、筆者はそれ以後、杉本によるバッシング事件が起きて、年末から年明け頃になるまで、KFCには近寄らなかった。

従って、筆者が唐沢に孤独な心中を打ち明けたとか、親切に面倒を見てもらったなどという事実はない。むしろ、杉本事件が起きてから、筆者が途方に暮れて唐沢のもとに相談に行っても、それに対して、唐沢が行ったことは、KFCの元信徒の事件を自分に有利に解決するために、筆者に唐沢に有利な証言を警察で行うよう求めることだけであった。

唐沢はその後、独断で杉本に提訴を予告して杉本を激怒させた上、その提訴を実行に移さず、さらにそうした理由さえも、いわれなく筆者にかこつけ、筆者をKFCから追放した上、筆者を中傷する情報を杉本に提供したことはすでに述べた通りであり、それを考えれば、唐沢が筆者のためになした良いことなど、ほとんど何も見当たらないと言えよう。

筆者は、唐沢の信仰的見解を非常に危ぶんでいたので、唐沢に助言や忠告めいた内容を伝えたことが、幾度となくあり、何とかして唐沢に正統な聖書的見解を取り戻せないかと試行錯誤し、話し合いの機会をもうける口実として、「横浜を案内して欲しい」と頼んだことがあった。

しかし、それに対しても、唐沢はただホームレス伝道が行われている教会へ筆者を連れて行っただけであり、筆者はその伝道風景を見て、あまりにも人工的であると感じて、気分が悪くなっただけであった。もちろん、筆者がそれ以外に唐沢から横浜案内を受けたことはない。信仰についてKFC以外の場所で話し合ったことはあるが、観光などの信仰とは関係のない事柄を共に行ったことはない。

筆者は杉本のバッシング事件において、唐沢からほとんど助力を得られなかったが、それとは別に、2012年にKFCを去るまで、唐沢が「セレブレーション」と呼んでいた礼拝に通っており、それゆえ、筆者とは「牧師と信徒の関係になかった」という唐沢の主張が荒唐無稽であることは言うまでもない。

唐沢が筆者の「カウンセラー」でなかったという事実は、何ら牧師と信徒の関係に影響を与えるものではない。

むろん、筆者が2012年に鵜川夫妻に口論をしかけた事実もなければ、鵜川夫妻が土下座したといった芝居じみた話も、事実ではない。大体、キリスト教徒が土下座などすると考える方がどうかしているが、鵜川夫妻は、当時、筆者が夫妻に疑問を感じていることを鋭く感じ取っており、2012年のある日の礼拝後、筆者が鵜川のメッセージを素直に聴かないと言って、他の信徒が見ている前で、筆者をすごい剣幕でなじった。そして、夫妻は、筆者が彼らに心を開かないことを責め立てたのであった。

唐沢は、その頃から、鵜川夫妻に入れ込んでいたので、彼らの肩を持って、その話を聞いていたのであろう。それからほんのわずかしか経たないうちに、3人で筆者を断罪し、KFCから追放したのである。

同じ頃、筆者がKFCを去る少し前に、エシュコルがKFCに対してブログで決別宣言を出し、集会を去った。だが、それについても、唐沢は「ヴィオロンがエシュコルを唆したに違いない。あんな人間に自分で物事の判断ができるはずがない」などという理由で、鵜川夫妻と一緒になって筆者を断罪し、さらに、礼拝後、信徒たちの目の前で、「彼は血潮を踏みにじり、赦されない罪を犯した。これから先、己が罪を生涯背負って、無意味な自己弁明を重ねながら生きて行くしかないだろう。」などと宣告していた。

こうした事件を目の当たりにした結果、筆者はKFCの元信徒が、唐沢から「密室で呪いの予言を受けた」と主張していたことを、全く嘘とは思えない心境に至ったのである。

その確信は、唐沢が現在、この信徒だけでなく、筆者をも事実に基づかない理由で断罪する以下の記事を公然とホームページに掲載しているところを見ても、さらに深まるばかりである。

 



この記事で、唐沢はすでに10年ほども前に、不起訴に至ったKFCの元信徒に対して、未だに尽きせぬ恨み節を向けながら、彼の家庭・精神が崩壊に至ったことを喜び、嘲笑するかのような言葉を浴びせている。

このような断罪記事には、唐沢の精神が余すところなく表れているのであって、このように信者を断罪できる唐沢が、この信徒に「密室で呪いの予言を浴びせる」ことなど、平気だっただろうという推測が生じるのは当然である。

唐沢はここで筆者についても、誇張・歪曲された事実をいくつも並べて、あたかも筆者がアッセンブリー教団で「挫折」したかのように述べたり、筆者が「現実と幻想の混濁した独自の世界観」の持ち主であるかのように、必死に印象操作をしようとしている。こうした記事が、杉本にどれほど好都合な材料となったか、あえて述べなくとも明らかであろう。

こうした唐沢の主張は、村上密が筆者に向けている非難にほぼ重なるものである。かつて唐沢は、自分から村上密を嘲笑する記事を投稿していた事実などすっかり忘れたように、ここでは筆者が村上を「憎悪」しているかのように、都合よく村上を擁護する側に回っている。

唐沢はかつてはアッセンブリー教団をも批判していたのである。しかし、2012年にアッセンブリー教団所属の鵜川夫妻がKFCでクーデターを起こして以来、唐沢はアッセンブリー教団を非難することができなくなった。唐沢が鵜川夫妻を公然と批判できないのは、鵜川夫妻と親しく交わりを重ねているうちに、夫妻に弱みを握られたためなのかどうかまでは、筆者は知らない。

いずれにしても、唐沢がこうして杉本徳久が筆者を名誉毀損することを促すかのように、格好の材料を次々と提供して行ったのは事実である。

こうした事実から、読者は唐沢という人間の極端なまでの利己主義、サイコパスのごとき冷淡さを見て取れるのではないだろうか。

とはいえ、筆者は、唐沢が筆者を呪ったり、杉本が誹謗中傷したとしても、全くその言葉には効果がないと確信している。なぜなら、私たちのためには、すでに木にかけられて呪いとなって下さった方が存在しているためであり、誰からの呪いも、十字架によって無効にされているからである。

ただし、それでも、唐沢は自らの行動の責任を取らなければならないことは確かである。

* * *

④ 偽預言者を待ち受ける破滅 異端的教説にはまることの恐ろしさ

最後に、以上のような事態が、唐沢治の内側で進行したのは、その間、唐沢治が、ニューエイジ、オカルト、東洋思想などの非キリスト教的思想をいくつも渡り歩いて、それに深く影響を受けたために他ならないと、筆者は考えている。

筆者はまだKFCにいた頃、こうした教えがどれほど危険なものであるか、再三、唐沢に忠告し、議論したこともあった。その当時、筆者は何とかして唐沢の心を変えて、正常な信仰を取り戻せるのではないかという甘い期待を持っていたのである。

しかし、唐沢はどれほど忠告しても、己が考えにしか従わず、聖書と異なる教えを捨てようとはしなかった。唐沢は自分にあまりにも自信を持ち過ぎていたため、むしろ、筆者がそれらについて警告すればするほど、筆者に対する嫌悪を深めて行ったのである。

当ブログでは、前々から述べている通り、東洋思想の基礎は、グノーシス主義にあり、グノーシス主義の本髄は、「対極にあるものを融合する」こと、すなわち、嘘とまこと、「然り」と「否」を統合し、究極的には「神」と「人」を一つにすることにこそある。

唐沢治がかつて属していたローカルチャーチでは「神と人とが混ざり合う」という異端的教説が教えられているが、唐沢はこの教えをかつては糾弾していたにも関わらず、結局のところ、自分自身がそこへ戻って行ったのだと言えよう。

唐沢治が現在、KFCにおいて、自分たちは「エロヒム(神々)だ」と主張し、「キリスト教からのエクソダス」を唱えていることは、彼らが、自ら神(々)になっていることを意味する。

生まれながらの人が、十字架の死を経ることなく、自力で神に到達すること――これは、あらゆる異端が目指している最終目的であり、神秘主義の極意である。

筆者は、目に見える教会組織や、目に見える指導者からの「エクソダス」を唱えたことはあっても、唐沢のように「キリスト教からのエクソダス」を唱えたことは一度もない。

しかしながら、禅とキリスト教の融合を唱えたり、「白いキリスト教の呪縛から解かれよ」などと唱える唐沢は、もはや自分をキリスト教徒であるとは認識していないことがよく分かる。

筆者は2010年当時から、KFCが世間からどのように見られているかを観察して来たが、もしも自分の職を捨てることがなければ、唐沢の言い分は、今でも心理学の専門家として、世間で通用したかも知れないものと思う。

しかし、今はその根拠もなくなっている。唐沢は筆者を指して「脳内空転」と嘲るが、その用語も、心理学の専門用語ではなく、唐沢が考え出した時前の罵倒語に過ぎない。そして、「脳内空転」では、告訴状は受理されず、民事での賠償命令も出ない。

年上の男性宗教指導者および信徒に対し、何の肩書もない年下で無名の女性の筆者の告訴状が受理されること自体、真に驚くべきことであるが、そのようなことが起きるほど、彼らの信用は失墜していると言うこともできよう。

実際には、キリスト教の信仰に「挫折」、「現実と幻想が混濁した独自の意味不明の世界観」を生きているのは、唐沢自身である、と筆者は断言する。さらに、唐沢はキリスト教を憎悪し、教会をも憎悪している。かねてより、キリスト教は人間に狂気をもたらすなどと述べて来たのも周知の事実である。

これまで繰り返し述べて来た通り、村上・杉本・唐沢が、筆者を陥れようとしたり、権利侵害を行ったりした背景には、彼らの聖書の御言葉に対する憎悪が存在する。ここには、単なる個人的な対立を超えた、霊的争いが存在し、彼らが滅ぼそうとしたのは、聖書に忠実な信仰であり、神の国の権益であって、個人としての筆者ではないのである。

*ちなみに、この記事を書いている最中、上記でリンクを貼った記事を、杉本は削除した模様だ。しかしながら、はっきりと物事の決着をつけておくためには、記事が削除されても、控訴審で改めてこうした一連の記事の削除を求めることは、続けて行かねばならない。また、記事を削除させるための別の強制手続きも続行中である。

だが、いみじくも、今回、断固として敵の嘘に立ち向かいさえすれば、正しい主張は通るのだという結論が出た。すべての信者には、暗闇の勢力による脅しに屈さず、毅然と立ち向かうことをやめないでもらいたい。そして、敵の要塞を打ち破ることは可能なのだと勇気を奮い起こしてもらいたい。

キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。

あなたがたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(テモテ二3:12-17)

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