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私ではなくキリストⅢ(東洋からの風の便りII)

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」(ローマ6:6)

国家権力は大昔から検閲・監視・密告を統治の手段として活用していた―ASKAの事件から見えて来るもの―

・事実上の共産主義国と化した日本――残された時間で全力で国の破壊にいそしむ安倍独裁政権――
 
安倍政権による日本破壊が続いている。政策にも外交にも全く成果が出ず、アベノミクスの破綻が明らかになって、いよいよ終わりが近いことを悟った現政権は、残された時間でこの国に対するありったけの破壊行為にいそしむつもりだと思われる。

国会でろくな審議もなしに凶悪な法案を次から次へと強行採決しているのはそういう意図を込めてである。もはやこの国の民主主義はほんの建前だけ、うわべだけのものとなった。前々から国会での審議など予定調和的な出来レースだと言われてきたが、かろうじて民主主義国の保たれていたうわべだけの体裁もかなぐり捨てて、今はあからさまな安倍の自民・官僚独裁体制へと移行している。

原発の爆発のツケは国民に回し、GPIFによる年金の運用損も国民に押しつけ、消費が活発化しない分は、カジノ法案を通し、ギャンブルで国民から巻き上げようという所存である。

10年を超える休眠預金はすでに国有化されることが決まった(「貧困対策や若者支援に活用=「休眠預金法」が成立」gooニュース 12月02日 12:20)。この「忘れ去られたお金」は500億~600億ほどは存在するという。貧困対策や若者支援など、これまで政府が一度たりとも本腰を入れてやったことのない政策へ活用するというのだから、そんなことは国民の資産を国が奪うための単なる口実に過ぎないのは明白である。この休眠預金の国有化は来るべき預金封鎖へとつながる初めの第一歩になるのではないかと囁かれている。

これから先、肥大化した官僚機構に率いられる国家権力が少子高齢化(と原発事故の影響による人口の著しい減少から生じる)財政難を乗り越えるために、いかに国民財産のありったけを強制的・合法的に収奪できるか、国会はただそのためだけの法整備の場所へ変わるものと見られる。
 
筆者は、この国はずっと前から事実上の共産主義国であると述べて来たが、いよいよ一人のカリスマ(というのにはあまりにも力不足だが)政治指導者のもとで、事実上、独裁化した中央集権が国民を徹底的に抑圧し、収奪するという、共産主義国には欠かせない政治形態が整ったと言える。もはや天皇さえも国家権力による抑圧のための飾り物のようにされてしまっている。
 
安倍は「美しい国」という偽りの夢(存在しないユートピア)を口実に、とことん人を騙し、国を滅ぼして来ただけで、何一つとしてこの国にリアルな成果を提供することはできていない。

安倍晋三を率いているのは、共産主義や、統一教会、ペンテコステ運動、国家神道を率いる悪霊と同じ種類のカルトの霊であって、これは偽りの父である悪魔から出て来た霊である。
 
安倍の政策は、ペンテコステ運動などと同じく、そもそもの最初から最後まで徹底的な詐欺の仕掛けなのである。その嘘の仕掛けは、かつてソ連が共産主義という、絶対にやって来ない夢を担保にして、とことん国民を騙し、巻き上げたのと同じである。
 
強行採決は、この偽りの霊が、安倍晋三というリーダーを現人神化し、残された時間内で、この人物を通して、とことん民主主義を破壊し尽くすという意志表示である。これを放置していれば、この国は暗黒時代に突入するだけである。


・偽りの北方領土返還の夢――無い夢を担保に、米国とロシアの二国にATM扱いされる悪夢をこの国はどう防ぐのか――

安倍は「強いロシアを取り戻す」というスローガンを掲げるロシアのプーチン政権に自分と同じ思想を見いだし、それゆえ親和性を感じ、個人的な親交を結ぼうとして来たわけだが、日ロの首脳会談は、今やまるで狐と狸の化かし合いのようになって来ている。

むろん、両方が精神性においては詐欺師と言って差し支えないのだが、こういう場合は、悪がより強い方が勝つと相場は決まっている。悪が強い方とはむろんロシアのことであって、この国の闇の深さは、これまで70年間平和を保って来た我が国の想像をはるかに超える。

一説によると、本物のプーチンはすでに死亡しており、現在のウラジーミル・プーチンは替え玉によるなりすましだと言う。プーチンの別れた元妻さえ替え玉であると証言しているというのだ。

長い間、筆者はそんな話はロシアを悪魔化するためのプロパガンダに過ぎないと考え、取り合わずに一蹴して来たが、最近になって過去の動画を比較してみると、確かに、以前のプーチンとは声も顔も違う。身体的特徴も異なれば、声のトーンも違う。


 

若い頃のプーチンには表情にどこかしら敏感で神経質そうな個人的特徴があったが、現在のプーチンには、それが見られず、物腰は訓練された工作員そのもので、電話機や銃を持つときの仕草にその特徴がよく表れている。面長だったプーチンの顔の特徴が丸く変わっており、目の色も変わっていると言われている。かつては流暢に話せたはずのドイツ語では、通訳を介さなければ意思疎通ができなくなった。

 

(秋田犬ゆめ、飼い主から撫でられそうになると顔を背け、逃げ去る)

プーチン死亡・替え玉説という話は深入りせず、この辺でさて置くとしても、こういう話を冗談として一蹴できない国がロシアなのだ。

話を戻せば、安倍が拙速なトランプ詣でをしたことによって、以下のニュースにも見るように、北方領土の返還は、ますます一層、遠のいたと言える。もはや日本は完全にロシアにいいようにあしらわれている様子がよく分かる。
 

岸田外相、プーチン大統領と会談 交渉の難しさ露呈フジテレビ系(FNN) 12/3(土) 1:14配信、から抜粋

岸田外相は、ロシアのプーチン大統領との初めての会談に臨んだが、2時間という、大遅刻の洗礼を受けた。
さらに、ロシア側との交渉の難しさが露呈する出来事が、次々に起こった。1時間50分遅れで始まった会談では、待たされていた岸田外相の前に、笑顔のプーチン大統領が現れ、会談は30分で終わった。
これに先立ち行われた国内行事で、プーチン大統領は、会談の予定開始時刻を1時間すぎても、雄弁に演説し、あわてる気配はない。
 思いがけないハプニングは、これだけにとどまらず、日本時間2日になって、ロシア側から日本側に、会談の出席者を4人から3人に絞るように要請があり、ロシアを担当する欧州局長が協議に入れない事態になった。


 筆者は必ず、こういうことになるだろうと前もって告げておいた。北方領土問題には、1%も希望などもともとなかったのだが、それでも、領土問題に進展がないのだと分かれば、即座に経済協力をひっこめ、プーチン大統領の訪日も中止するくらいのしたたかな駆け引きが日本の首相にぜひとも必要だった。しかし、安倍にそのような決断が出来るはずがない。

仮にもしもここ数年間に起きた日ロの急接近の中で、北方領土返還のチャンスが1%でも我が国にあったとしたならば、それはただロシアが米国に睨まれて国際的に孤立し、悪魔化されて包囲されていた他ならぬその時期だけであったと言えるだろう。だが、その間に安倍政権はロシアに近寄ることなく、むしろ、公然と対ロ制裁に加わった。そして一時はあわや世界大戦勃発に至るかと見られた米国とロシアとの対立も、今はトランプが次期大統領に選出されたことによって、ロシアにとっては緊張緩和の見込みが開けている。そんなバラ色の期待が高まっている今の時期のロシアにとって、わざわざ米国の傀儡に過ぎない日本の安倍政権に自ら歩み寄り、助けを求めねばならないような必然性はまるでない。

むしろ、この先は、米国とロシアとがタグを組んで可能な限りこの自立できない卑屈な属国を踏みつけにして、カモれるだけカモろうという態度を明白にしないように、釘を刺しておかなくてはらない時期に入ったのだ。確かに、安倍氏はそのようなことをされて仕方がないだけの卑劣な二枚舌外交を発揮して来た。自分が最も困難に陥った時期に、敵に回り、信頼と友情を確固として示さなかった人間に、誰がその人間が困ったときに救いの手など差し伸べるであろうか。そういうやり方は、人間関係にも通用しないが、外交としては完全な失敗である。

しかしながら、筆者は、たとえこの国のトップが狡猾な外交作戦を展開できうるだけの頭脳を持っていたとしても、やはり安倍政権の存続中に北方領土が返還される見込みは、初めから1%も存在しなかっただろうと考えている。そのようなことがもし起きうるとすれば、それはこの国が米国のくびきを断ち切って、完全に自立を成し遂げたその後のことである。

もともとロシアから見て、今の日本は米国の延長のようなものに過ぎない。そして、米国はロシアにとってずっと前から仮想敵なのである。日本が米国と共に対ロ制裁に加わった事実は、日本が自ら米国の手足に過ぎないと名乗り出たも同然であり、その記憶はロシアからこの先も決してなくなることはないであろう。いざとなればいつでも敵に変わり得るような国と見えているのだから、そんな国に、どの国が1ミリたりとも領土を明け渡すことがあろうか。そうでなくとも、どの国も自国の領土は1ミリでも大きい方が良いと考えるはずだ。普通に考えさえすれば結論は最初から見えている。

実際は、北方領土返還のテーマもまた国民を欺くための安倍のトリックに過ぎなかったのだが、安倍自身も、それが偽りの夢でしかないことに気づいていなかった可能性がある。

だが、こうした楽観の結果、日本は米国のみならずロシアからもATM扱いされ、国際的に自立できない国として蔑まれ、孤立して行く危険性に直面しているのだと言えよう。だが、ヘタレ国家のヘタレ政権には、そうなってもまだ、このくびきを跳ね返すだけの勇気も力もなく、自分たちが屈従を強いられている分の腹いせを、これから先、すべて国民に向け、国民をいたぶることで晴らそうとして来る可能性がある。それが最悪の結末である。


・強制集団化の始まり――原発事故処理の収束という天文学的負債を国家の破綻を経ずに乗り越えるには、国家が国民を徹底的に抑圧するしかないという悪夢――
 
いずれにしても、少子高齢化の中、半永久的に終わらない原発事故処理という天文学的な負債を抱え、これから先、財政難へと急落して行くことが目に見えている国である。その限りない負債をやりくりするために、この国では、この先、私有財産の国有化がなされ、徹底的に国民の資本と労働力を収奪するための強制集団化が始まるものと見られる。(ただし、こうした現象が起きるであろうという筆者の予測は、実のところは、日本だけでなく、米国やロシアにも当てはまるのだが、そのことは今は置いておく。)

さて、強制集団化とは何か。それは国民の労働力と財産を最後の一滴に至るまで搾り取って国の財産へと変えるための制度づくりである。安倍による農協潰しは、コルホーズ・ソフホーズの建設を思い起こさせる。マイナンバーも、国民財産と労働力を合法的に収奪するために活用されるであろう。いずれマイナンバーは体内埋め込み型のマイクロチップに取って変わり、その刻印を受けた人々はみな「マトリックス」に奴隷として拘束される仕組みが完成すると考えられる。

さて米国では、このほど、時期米国大統領に選出されたトランプの支持者であり、同氏の選挙チームの有力メンバーでもあった人間が、第二次世界大戦中の日系人強制収容所を手本として、米国で移民向けに強制収容所を建設することに言及したという(「「イスラム教徒の入国管理には、戦時中の日系人強制収容が前例になる」トランプ氏支持者が発言」The Huffington Post 投稿日: 2016年11月18日 17時15分 JST   更新: 2016年11月18日 17時31分 JST)

以前からネット上では、全米各地に大規模な強制収容所の建設が進んでいるといった話や、大量の棺桶が用意されているなどの怪しい話が飛び交って、国民に対する大規模な弾圧が行われると言われて来たが、こんな発言を見ると、以前には都市伝説や、流言飛語と思われても仕方がなかったような話が、いよいよ現実味を帯びて来たように感じられる。

つまり、米国は未来のトランプ政権下で、いよいよ本格的に戒厳令国家へと変貌しようとしているのではないかという予想が起きて来るのである。実際、米国民が最も懸念している点はそこであろう。移民抑制など単なる口実に過ぎない。まずは人権抑圧の最初のターゲットとなるのが、トランプが幾度となく憎しみを向けて口撃して来たマイノリティであるというだけで、最終的にはトランプ政権にとって不都合なすべての米国民は、みな強制収容所行きとなる危険を覚悟しなければならないような世の中になるのではないか。それがトランプ一人の治世で終われば良いが、米国の政権の特徴として後戻りできない形で浸透してしまう危険が考えられる。
 
そうなった場合、米国との腐れ縁を断ち切らない限り、我が国も、米国に続いて戒厳令国家へ突入することを免れられなくなるであろう。なぜなら、これまでの歴史的経験から、米国で起きたことは、数年遅れて、我が国の現実となって来たということが言えるからだ。たとえば、官僚だけがヒーローとなって、国民は恐怖に逃げ惑うか、もしくは移動も制限されて、家屋に閉じ込められて、TV画面を通じて報道される大本営発表を固唾を飲んで見守るしかない、という『シン・ゴジラ』のストーリーなども、未来の予表として描かれたものであるように思われてならない。

だが、一体、なぜ国家がそのような戒厳令下の世の中を用意せねばならないのか? 何のために国民の人権を抑圧するのか? それは、いよいよ国家が財政難その他のために経済的にも道徳的にも落ちぶれて行き詰まり、信用を失って崩壊の危機に瀕し、己の生き残りだけが全てとなって、いよいよ犯罪政権としての性質と正体を隠せなくなって来た時に、それでも滅亡を免れるためには、国民から収奪を強化し、手ひどいやり方で反対を封じ込めるために、国民の人権を大規模に抑圧することしか、残る方法はないからだ。

かつての一億玉砕と同じである。国の面子が保たれ、国体が護持されるためであれば、国民が残らず死んでも構わないという発想である。そのような発想の下では、国民は文字通り、犯罪性を帯びた政府と心中させられることになる。
 
だが、人は通常、自分自身の幸福のために生きているのであり、誰も強いられない限り、「お国のために」生きようなどとは考えない。だから、国民の財産と労働のすべてを国家のために合法的に供出させる仕組みを作るためには、まず、国策に反する者は誰であれ、権力の判断で恣意的に逮捕でき、人権(財産権を含む)を放棄させるような仕組みを作らなければならない。強制集団化のような過酷な政策の実施は、流血を伴うのであり、まずは国策に従わない国民から人権を奪って強制的に収容所に送って奴隷労働に従事させるなどの恐怖政治の仕組みを作らない限り、実行できない。
 
だが、初めから、権力のために国民の人権を抑圧しますなどとは、おおっぴらに言えないので、緊急事態や、外敵の脅威を口実に、国内で恐怖政治を常態化させるのである。しかも、最初から国民全体を縛るためにと言っては誰も同意しないので、最初はあくまでごくごく一握りの社会にとって不都合な、国民全体にとって脅威となりうる集団だけを取り締まり、排除するのだと言って、人権抑圧の仕組みを作り、作った後で抑圧の対象を無限大に広げて全国民を取り締まるのである。こうして戒厳令国家の仕組みが成立する。


・国家権力は大昔から検閲・監視・密告を統治の手段として活用していた――ASKA逮捕の事件から見えて来る監視社会――

ところで、筆者はCHAGE&ASKAのファンではなく、この事件にそんなに興味もないが、この度のASKAの逮捕という出来事は、以上のような文脈において、実に象徴的・暗示的であったと思うので触れておきたい。

このほど、二度目に逮捕された歌手のASKAは、本人の言によると、盗聴盗撮の被害を訴えて警察に被害届を出そうと通報したところ、その言い分が「薬による幻覚」であるとみなされて、自身が逮捕されてしまったという。
 
芸能人であるとはいえ、政治家でもない人間が、何らかの犯罪被害を訴えて警察に通報したことがきっかけとなって、逆に自分が疑われて逮捕されたというわけだから、これは人々を震撼させる出来事であり、この日本社会の大きな曲がり角である。

ASKAは週刊誌では脳が壊れたなどとしきりに笑い者とされ、危険な薬中毒患者だから何をされても仕方がないかのような報道がされているが、世論はASKAにかなり同情的で、この行き過ぎたバッシングに拒否反応を示し、真相を疑っている。

実のところ、ASKAに起こったことは、明日には国民全体に誰でも起きうる現実である、と言える。それが分からずに、ASKAを特別な人間と考えて笑い者とし、人権侵害を正当化している人間は、よほど愚かである。

ASKA逮捕が、当局によって周到に仕組まれた計画のもとに行われた罠であったろうことは、逮捕前からメディア中ですでに逮捕の予告が公に報道され、乗ったタクシーの映像まで勝手に公開されるという異常な状況から容易に推測される。

つまり、ASKAが逮捕されるはるか前から、警察、メディア、民間企業などが連携プレイを行って、本人に対する監視体制を作り上げ、網で魚を捕えるように、ただ逮捕の機会を伺っていただけであるとみなさなければ、そういう事態は起き得ないのだ。
 
(「ASKA逮捕を事前予告して“見せ物”に! 清原逮捕に続く警視庁組対5課の情報操作とそれに乗っかるマスコミの手口」 LITERA2016.11.28.などを参照。)

このようにメディア・警察・民間企業の見事な連携プレーを見せられると、「盗聴・盗撮されている」というASKAの言い分が、逆に正しかったのではないかと見えて来るのも当然である。
 
ちなみに、タクシー内の映像ではしっかりと運転手と話をし、料金を支払っているASKAの姿が映っているようなので、覚せい剤の影響で脳が壊れたとの公式発表を完全に否定する証拠となっている。

もちろん、ASKAの逮捕が、年金カット法案や、廃炉費用の国民負担や、カジノ法案の強行採決など、政府の実行しようとしている恐るべき凶悪な国民の権利抑圧の政策を覆い隠すためのスピン報道として存分に用いられたことは疑いの余地がない。だが、この事件は、スピンだけが目的の全てではなかったものと思う。

ASKAはこの逮捕がなければ、活動を再開する準備が整っており、今回の二度目の逮捕は(一度目の逮捕に至る経緯も周到に計画されたものであった可能性が高いが)、社会復帰を妨害する上で重要な役割を果たした。中でも、特に、ASKAが執筆しすでに公刊が近かったとされる『盗聴国家・日本』の出版を妨げるために極めて重要な役割を果たしたのは見逃せない。

(「ASKA容疑者 著書執筆中だった テーマは「盗聴国家・日本」」 スポニチ 2016年11月29日 05:30参照)

ちなみに、今でもごく普通の生活レベルで人々が接触する街の交番や警察署のお巡りさんは、道に迷った人にも親切で、気前も良く、そんな街のお巡りさんだけを見ていたのでは、警察が凶悪な組織だという印象は持ちにくいであろうが、しかし、それはあくまで警察組織の最下層の話であって、組織の上層部はこれとは全く異なる性質を持っているものと考えられる。国家権力の一部としての警察組織が恐るべき腐敗・犯罪性に陥っている可能性については、たとえば、神戸の児童連続殺傷事件についての少年A君冤罪説に関する一連の記事の中でも触れた。

今日、国民の誰かが仮に自転車盗難などの被害を訴えて交番に赴いたからと言って、自らが窃盗容疑で逮捕されるようなことはないと思うが、ASKAの事件は、これから先、平凡な国民が、本気でこの国の闇・タブーに触れるような何かの事件を告発する側に回ると、それをきっかけに、警察を含め、国家権力全体から監視対象としてマークされ、社会活動が不可能となるような妨害を受け、警察に何かを相談しても、かえって疑われ、狂人扱いされ、逮捕され、隔離されるきっかけとされるような、恐ろしい社会が到来しようとしていることをよくよく物語っているように見受けられてならない。

筆者はASKAをかばいだてするためにこう言うのではなく、国民に対する権利侵害に鈍感でいると、それがいずれ全国民の身に降りかかって来ることになると言っているのである。芸能人だから、再犯を疑われたから、自分とは扱いが違うとみなすのは誰しも早すぎるであろう。
 
仮に今、ASKAが訴えた盗聴・盗撮の被害は事実であり、この度のASKA逮捕は、この組織的犯罪を隠すための国策逮捕であったと仮定しよう。

すると、浮かび上がって来る疑問は、これら二つの間には密接な関連性があって、集団ストーキングは連携プレーによる逮捕と同じく、国家権力が不都合な人間を抑圧し、追い込むための闇の統治手段ではないのかということだ。

集団ストーキングという用語は、ネット上で調べると、カルト宗教から脱退した人への報復措置として言及されていることが多く、ネット以外の世界では、そういう話は、ほとんどが薬による幻覚か、もしくは、統合失調症のもたらす妄想として片付けられて終わっているようである。いずれにしても、現実世界はこのような問題の存在自体を頑なに否定しているのである。

だが、盗聴・盗撮という問題を単純に妄想と片づけるのは極めて愚かなことである。何より、ソビエト・ロシアの歴史を知っている者として、ここではっきり言えるのは、国家権力による盗聴・盗撮は、何世紀も前かられっきとして存在しており、いわば使い古された手段であって、何ら個人の妄想の産物でもなければ、新しい発想でもないということである。

全体主義政権は、いつの時代も、自らの政策の異常さ、残酷さ、誤りを、民衆の心に単純に訴えかけるアートの形で発表されることを何よりも嫌がった。そこで、政治家だけでなく、詩人、作家、音楽家など、芸術家をとりわけ厳しい監視対象としたのである。

たとえば、19世紀ロシアの詩人レールモントフは次のような詩を書いた。
 

Прощай, немытая Россия,
Страна рабов, страна господ,
И вы, мундиры голубые,
И ты, им преданный народ.

Быть может, за стеной Кавказа
Сокроюсь от твоих пашей,
От их всевидящего глаза,
От их всеслышащих ушей.



この詩には違うバリエーションもあるようだが、今はこの詩に正確かつ芸術的に完成された訳をつけることは目的とせず、単に意味を大まかに理解するだけに専念したい。もし逐語的に訳せば、次のような意味になるだろうか。

さらば、*無割礼のロシアよ、
奴隷らの国、ご主人様らの国、
おまえたち**青い制服にも、
奴らに忠実な民衆にも。

(注*無割礼と訳した言葉は、原語では「洗礼を受けていない」の意味、つまり、野蛮な、下品な、といった意味合い)
(**青い(空色の)制服とは、帝政ロシアの憲兵の制服)
 
ひょっとして、*コーカサス山脈の向こうまで行けば、
おまえの**官憲から逃れられるかも知れない、
奴らのすべてを見通す目から、
奴らのすべてを聴く地獄耳から。

(注*=僻地への兵役や流刑の方が都にいるよりもはるかにましだという意味)
(**原語では、パシャというオスマン帝国軍司令官の称号、複数形)
 
レールモントフがこの詩の中で激しい侮蔑と嫌悪感を示して糾弾しているのは、帝政ロシアの巨大な権力機構によって国民の間に徹底的に張り巡らされた監視・密告・検閲体制である。当時、ロシアの帝政権力による検閲は、ただ単に政治的な出版物やパンフレットの検閲だけでなく、あらゆる分野の出版物に及び、国民のあらゆる会話の監視・盗聴と、それに基づく密告が行われていた。貴族であっても、この監視体制から逃れられる者はいなかった。

このような徹底的な監視・密告・検閲体制は、ロシア国家の不治の病として、この国の歴史に深く刻まれ、ソビエト体制にも受け継がれる。帝政ロシアが権力を批判する文書を細部に至るまで統制し取り締まっていたと同様、特にスターリン体制になって以後のソビエト権力は、国内のすべての文書を厳しく事前検閲して取り締まりの対象とし、国民のあらゆる会話を盗聴し、国民同士による盗聴・密告体制を作り上げて、国家にとって不都合な人間を排除する手がかりとした。ソルジェニーツィンが収容所群島と呼んだ強制収容所には、国民同士の密告に基づいて「人民の敵」とのあらぬ嫌疑をかけられて秘密警察により逮捕され、証拠もなく有罪にされた数知れない人々が送られた。

だが、ソビエト体制になるよりもずっと前に、レールモントフが自らの詩に描いたのが、まさにこれと同じ世界であった。この詩人にとっては、それこそが「ロシア」であり、ロシアとこの盗聴・密告・監視システムは切り離せないものとして一体化して機能している。しかも、その奴隷のシステムは国家権力だけが独断で作り上げたものではなく、民衆の自発的協力と一体になって成立しており、そのようにして権力に自ら迎合し、媚びへつらい、屈従する国民の卑屈さ、精神的奴隷ぶりが、この誇り高い詩人には我慢がならなかったのである。

今日のロシア人は、この詩はシニカルに過ぎるものとして否定したがるかも知れない。そのような卑屈な奴隷根性を国民的歴史としては認めたがらないであろう。だが、これはロシア国家の不治の病であり、今日もそうした体質は変わらない。ロシアという国に対して幻想を持つのは早くやめた方が良いであろう。

筆者はかつて半数ほどがロシア人から成る小規模な仕事場で働いたことがあったが、そこで、毎日、毎日、ロシア人の集団と顔を合わせているうちに、普通ならば、国際結婚でもしなければ見えて来ないような彼らの国民性の負の部分を間近で観察することになった。その結果分かったのは、ロシア人には自分たちは虐げられているという被害者意識による団結力はあるが、それがあだとなって、自ら監視・密告体制を作り、信念を持たず、浮草のように力の強い者から力の強い者に流れ、何度でも寝返りながら、本心を隠して媚びへつらうという無節操ぶりであった。ロシア国民の大半はこのような無節操な人々から成ると見て良い。筋を通して権力に戦いを挑む真のインテリなど極めて稀である。

そのようなわけで、我が国の現状を相当に辛辣に批判する数多くの人々が、米国嫌いの反動のためか、今もロシアには甘い点をつけ、淡い期待を託している現状を、筆者は残念に思う。

たとえば、兵頭正俊氏でさえ「南スーダンの黙示録」(2016年12月1日)において次のように語っている。
       
 

2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチが日本にきている。

11月28日に、東京外国語大学で講演して、「日本には抵抗の文化がない」と発言した。福島第1原発破壊の福島を視察して、被災者から国の責任を追及する声が少ないことに驚いたものである。

福島で目にしたのは、日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がないことです。祖母を亡くし、国を提訴した女性はその例外です。同じ訴えが何千件もあれば、人々に対する国の態度も変わったかもしれません。全体主義の長い文化があったわが国(旧ソ連)でも、人々が社会に対する抵抗の文化を持っていません。日本ではなぜなのでしょうか

「全体主義の長い文化があったわが国(旧ソ連)でも、人々が社会に対する抵抗の文化を持っていません」という言葉をそのまま受け取るわけにはいかない。ロシアは、世界史に残るロシア革命を成し遂げ、またその革命が裏切られると、ソ連邦をも倒した

 
隣の芝生は青く見えるのであろう。だが、アレクシエーヴィチはロシアという国を十分に知った上で、以上のように発言しているのだ。それは知らない者に否定できる見解ではない。さらに、ロシア革命は、今日の言葉で言うカラー革命の一種であり、ソ連崩壊も同じことである。それらは決してロシア人の勇敢な抵抗の精神を物語る立派な歴史的事実ではない。とにかく、ロシアを色眼鏡で見て甘く評価することは、相当に危険である。この国の流血の歴史に比べれば我が国の方がまだ幾分か罪が軽いとさえ言える。
 
またもや話がロシアに飛んだので、ASKAの話に戻らねばならないが、ASKAが訴えている盗聴・盗撮などといった手法は、以上に記したように、何世紀にも渡り、国家権力が国民を取り締まり、統治を強化するために実際に用いて来た闇の手段なのであり、何も病人による筋の通らない戯言ではなく、さらに、公権力を批判する者が「狂人」や「病人」扱いされるという歴史も、今に始まったことではないのである。

いつの時代にも、国家権力は、人々が何千ページもある難解な論文や報告書を書いて政権を批判することよりも、絵画や、音楽や、詩などの、人の心に単純に訴えかける、民衆に広く理解される単純な形式による政権批判の方を目の敵にして取り締まって来た。
 
何千ページにも及ぶ論文は、読む人も限られるが、わずか数十分のプロモーション・ビデオなどは、誰でも容易に理解できる。

筆者が何を言わんとしているかもう分かる人もいるかも知れない。ASKAが訴えたような執拗かつ大規模な集団ストーキングが、もし国家権力と結びついたものであった場合、一体、それは何を理由として始まったのか。何がきっかけで、同氏はそれほど激しい妨害にさらされることになったのか。
 
誰でもすぐに思いつく重要なきっかけの一つは、 CHAGE&ASKAがかつて宮崎駿監督のスタジオ・ジブリの制作により、反原発をアピールする以下のプロモーション・ビデオ"On your mark"を作ったことである。「ああ、またもや、原発反対派による国家権力による陰謀説か。そんなものは聞き飽きた」と一笑に付すのは簡単だが、少し待ってもらいたい。
  


このプロモーション・ビデオは、Wikipediaの記述によれば、最初に公開されたのは1995年で、その後も、コンサートツアーで使われたり、2005年にはスタジオジブリのDVDにも収録されたりして、問題なく公開されていた様子なので、その事実を見る限り、最初からこのビデオが問題作として当局からの攻撃の対象となったという事実は全くないものと考えられる。

おそらく、福島原発事故が起きるまでの間は、かなりディープな問題提起がなされているとは言え、それほど物議を醸すことのない比較的無難な作品であったように思われる。

しかしながら、3.11後、権力にとって、このプロモーション・ビデオは、それまでとは全く違った意味合いを持つものとなった。すなわち、原発推進という「国策」に真っ向から逆らう、「権力に盾突く」深刻かつ見過ごせない内容の「危険作品」になったのである。

特に、当のASKA自身が明白に反原発のプロパガンダの意味を込めてこの作品を利用しようとしたことが、余計に当局の反発を買ったのではないかと予想される。

このプロモーション・ビデオのタイトルは、CHAGE and ASKAのライブとしては6年ぶりに予定されていた再始動の意味を持つスペシャルライブ2013“On Your Mark” にも大々的に利用されていた。このライブは、ASKAに「一過性脳虚血症の疑いがある」という理由で延期され、その後、完全中止になったが、この時につけられた病名が本当に正確な診断であったのかどうかについては色々な憶測が飛んでいる。

ASKAが最初に覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されたのは、2014年5月17日であり、この逮捕の影響により、それから約1か月後の6月18日に予定されていた上記のビデオの「宮崎駿監督作品集」の特典映像としての収録が中止になった。

筆者は、ASKAの覚せい剤使用の容疑が全て捏造であったと言っているのではない。おそらく一度目の逮捕の容疑は事実だったのだろうと想像する。だが、芸能人と暴力団や薬の使用との結びつきは、ASKAに限らず、あまりにもありふれた話でしかなく、当局はそのようなことはすべて知った上で、いつそれを大々的な事件として取り扱うかということだけに焦点を絞っていた可能性が高い。

当局は、有名人CHAGE and ASKAの華々しい再デビューと、反原発のプロパガンダのビデオが一つに結びついて、大々的に国民感情を揺さぶる現象を引き起こすことを何より恐れ、一計を案じたのではあるまいか。これを防ぐために、ライブの中止に向けて逮捕を計画しただけでなく、ASKAの名誉を徹底的に貶める執拗な報道によりビデオの信憑性を国民に疑わせ、その普及を阻止すべく手を打ったのではないかという見方が可能である。
  
さらに、上記のプロモーション・ビデオの他に、当局の恨みを買うきっかけとなったもう一つの事件が、ASKA自身が、(おそらくは国家権力と結びついた)大規模な盗聴・盗撮のシステム(集団ストーカー)の存在を告発しようとしていた事実である。

集団ストーカーの存在は、これまでネット上の妄言とされるばかりで、芸能人や著名人がその存在を認めることはほとんど無かった。影響力の大きい著名人の発言だけに、余計にそれが社会的に認知される前に早々に闇に葬る必要があったと見られる。

ASKA本人の手記によれば、同氏がこの問題に深入りするきっかけとなったのは、身近な他者が集団ストーカーの被害に遭い、自殺したという事件から生じた慙愧の念と義憤だったようである。同氏の手記を額面通りに受け止めるなら、他者の無念を晴らそうと、自らその事件に深入りしているうちに、組織的な盗聴・盗撮集団の存在を突き止め、これを追跡しているうちに、自身がターゲットとされたということになる。

だが、ASKAの手記を読むと、同氏は人を信じやすく、正義感が強く、疑うことのできない人柄の持ち主であったように見受けられてならない。そういう性格の人間を闇の中に誘導して陥れるには、親しい知人を痛ましい事件に巻き込むだけで良い。だから、真相は分からないとはいえ、監視集団の真のターゲットは、初めからASKAだった可能性も考えられる。

こうしたことは、栩内香澄美容疑者についてもあてはまる。ASKAはこの女性をも疑うことができないでいる様子だが、パソナにおける会長秘書という役職を考えるとき、おそらくこれは普通の人間ではないだろうという印象が拭い去れない。彼女はもともと一定の目的で派遣されたエージェントであった可能性が考えられる。道連れに逮捕されたのは目くらましで、当局の真のターゲットはもともとASKA一人だったのではないだろうか。
  
今回、二度目に逮捕される直前、ASKAは盗聴・盗撮集団の存在について、次のように言及していた。
   

  「ASKA容疑者 謎の言葉「ギフハブ」とは?」daily sports 2016.11.30 によると、
 
「同容疑者は警視庁に28日に逮捕される約5時間前に宮根誠司キャスターと電話で話し、その模様を29日に同番組で放送した。その際、同容疑者は「組織があるんですけど、ギフハブっていう。そこが組織を作って今…」などと自分の行動が監視されていると訴えていた。」



そこでASKAの語った具体的な内容は次のようなものだったという。
 

「ギフハブ」っていう組織があるんですけどそこが組織を作って。
今AR(拡張現実)っていう仮想現実なんですけど僕のいるところを映したりして。
携帯の中にそのアプリが埋め込まれてたんですよ。その証拠もとってるんですね。」


この秘密組織の存在は、様々な場所で、ASKAの妄想と幻覚を示す証拠のように嘲笑されているが、本当にすべてが作り話と決めつけられるであろうか。

何しろ、スマートフォンを含む携帯電話が、人々の位置情報、通話内容を含め、音声の盗聴及び盗撮に利用されうること、携帯電話を通して得られた情報をすでにCIAなどの大規模組織が大がかりに利用していることは、エドワード・スノーデンなどもすでに指摘していることであり、何ら新しい情報ではない。

それはあくまで米国の話だと我が国の人々は思って安心している。しかしながら、もしASKAの証言により我が国においても、同様の大規模監視集団の存在があることが明るみに出れば、人々はパニックに陥り、携帯電話を二度と使わないと決意するであろう。そのようなことを防ぐために、こういう話は早めに「妄想」と決めつけるのが手っ取り早い。病気でないなら、薬による幻覚、脳の破壊ということにして、「妄想の持ち主」を徹底的に見せしめに嘲笑すれば、そんな「作り話」は誰も口にしなくなる。

ところで、ARを作って、そこに現実の人物を置くことで、現実世界のパラレルワールドを作り、人間を監視するという、ASKAの語る監視手法は、上記のプロモーション・ビデオの中にもヒントがある。

"On your mark"のストーリーは、すべてがパラレルワールドから成り立っているとも言える。まず、そこでは、現実世界は放射能に汚染されて、人が住めなくなっており、人々は地下に現実を模した人工都市を作って、そこをあたかも現実世界のように思って生活している。それは人々を人為的に閉じ込める一種の「マトリックス」である。

この自由なき地下社会を支配しているのは、現実世界を放射能に汚染させて人が住めないようにした犯罪者政府であり、その犯罪者政府が、いかがわしいカルト宗教と手を結んで人心を統治しているというのが、このビデオの動かせない「現実」である。



ちなみに、このカルト宗教の掲げる標語"God is watching you"「神はあなたを見ている」は、この宗教の第一目的が、全ての人々を「監視する」ことにあるとよく物語っている。要するに、「おまえらはみな監視されているぞ」という脅し文句である。この宗教はフィクション版のフリーメーソンであり、そこで言う「神」とは悪魔を指す。

このすべてが裏返しのフィクションにおいて、主人公は、警察官の職に就いている友人同士の二人である。だが、二人がカルト宗教団体に突入するというストーリーの始まりは、そこからしておそらくはすでに幻想であり、妄想であると筆者は思う。

本当は、この世界においては、犯罪者政府とカルト集団による支配から逃れられる者は誰一人いない。現実における主人公は、カルト宗教・政府の手先としての「官憲」でしかないであろう。だが、ちょうど映画「マトリックス」がそうであるように、現実の欺瞞に気づき、これに耐えられなくなった主人公が、この「マトリックス」を脱し、勇敢に巨悪と闘うる正義の味方となるという「夢」を一人、空想の内に思い描くのである。

この「夢」の中で、主人公はカルト宗教にとらわれていた一人の翼ある少女を救出するというミッションを帯びる。が、何度も失敗しては、また最初からやり直しになる。ゲームのように、一度失敗すると、オールリセットして、また新たな策を練って、初めから出直しとなる。このストーリーでは、少女を救出して解放することが、人類全体の自由を取り戻すことと同義になっている。

その救出作戦の途中で、研究資料として政府に連れ去られた少女の位置情報を探り出すために、主人公はパソコンに向かう。パソコンの上には、不思議の国のアリスに登場するウサギを思わせる置物が置かれている。

少女の位置情報は、パソコンの向こうの仮想現実の中で見つけられる。「マトリックス」の世界に存在するすべては、コンピュータープログラムによって監視され、記録されているので、システム上で探り出すことが可能である。

CHAGEを思わせるもう一人の主人公が作ったものは、無線機のようにも見えるが、少女が監禁されている装置のロックを解除するためのリモコンであるらしい。





 
  
なぜこの少女は国家による研究材料にされて、試験管のような装置の中に閉じ込められたのであろうか?

推測に過ぎないが、この少女にはおそらく、放射能を無害化する特殊能力があるのだと思われる。そのことは、このストーリーの最後に、汚染された町で、少女一人が生き生きと羽ばたいて空へ向かっていく様子からも理解できる。

犯罪者政府とカルト宗教は、放射能を無害化する技術が一般大衆に知れ渡ると、地球が再生され、自分たちが人々を脅し、「マトリックス」である地下都市に監禁する口実がなくなるので、自分たちの支配が永遠に続くように、少女を隔離することによって、その技術を政府が独占し、外へ知られないように手を打ったのである。

むろん、この少女は存在自体が、主人公の「妄想」の産物である。実際には、この少女はカルト宗教に捕われて、無残に犠牲にとされた信者(もしくは奴隷)の一人に過ぎない。その犠牲者の少女に、地球再生の鍵が秘められているというのは、主人公の「夢」でしかない。

だが、その「夢」においては、政府と宗教団体の犠牲となって閉じ込められている一人のか弱い少女を救出して、汚染区域に解き放つことは、少女一人だけでなく、地球全体が救出される道である。少女が持つ放射能を無害化する力によって、汚染区域は、長い時間をかけて、再生の道を辿り、それによって地球は再び人の住める場所となり、未来の人類に、犯罪者政府とカルト宗教による支配から逃れる道が開かれるのである。

つまり、一人のか弱い人間を救うことが、地球全体の救済へとつながっているのであって、それを成し遂げることが、主人公が真の英雄へ至るミッションである。主人公二人は、汚染区域に入ったことによって、死ぬ羽目になるが、少なくとも、自己を犠牲にして、地球を汚染から解き放つ方法を提供することで、真の英雄になれたのである。

このビデオはフィクションとはいえ、現実世界の歪みを鋭く暴いて糾弾する意味を持っている。それは放射能の脅威(だけでなく人類の直面するあらゆる問題)を逆手ににとって、その脅威を悪用して人々を脅しつつ、カルト宗教と結びついて、人々の自由な暮らしを奪いながら、恐怖によって人心を支配する政府の存在を指摘していることである。その犯罪者政府にとって、放射能汚染という恐怖は、永久に取り除かれずに存在していた方が、むしろ、好都合なのである。

3.11以降、このフィクションに込められた現実の矛盾を暴きだす力が、あまりにも強烈なメッセージになったがゆえに、当局はこれをお蔵入りとし、闇に葬る必要があったのである。

そのために、フィクションの物語を裏返しにして、ASKAを模した主人公が、現実世界においてはスキャンダルと恥辱にまみれた「容疑者」となり、決して「英雄」にはなれず、少女も飛び立てず、再生の道が絶たれるように、悪意を込めて物語の事実をひっくり返したのである。

この悪意ある監視集団は、そのために現実とは別のもう一つの仮想現実であるARの世界をコンピュータ内に作り、そこでASKAを監視の対象、さらし者にした。そのARにおいて、彼らはどうやって同氏を罠にかけ、貶めるかを話し合ったのであろう。そして、その悪意が現実世界にも及ぶように、周到な計画を練ったのである。現実世界において、同氏をどんな風に罠に引き込んで凋落させるかを話し合ったのであろう。

「落ちて行くだけのコインは二度と戻らない」とか「流行りの風邪にやられた」などの歌詞を彼らは弄び、悪い事柄だけが現実になって降りかかり、作品自体が本人を嘲弄する手段となるように粋を凝らしたのである。

この犯罪者集団は、おそらくはASKAの他にも自らの脅威となりうる人間に対して、ずっと同じ方法で監視を繰り広げ、その人物が真の社会的脅威となる前に、あらゆる方法を使って社会から排除されるよう、引きずりおろして来たものと想像される。小沢一郎、植草一秀、鳩山由紀夫などの政治的大物は言うまでもないが、影の政府にとって不都合な人間を欺き、その人間性を貶め、周到に罠にかけるのが彼らの仕事であり、今やその手法はただ単に社会的な大物だけでなく、一般人にまで及ぼうとしている・・・。

しかしながら、こうした恐るべき推測を一旦、脇に置いても、このビデオは宮崎駿の作品にしては、随分、不吉な印象である。特に、この翼ある少女には、宮崎作品に登場する多くの女性主人公のような主体性があまり感じられず、彼女はただ受動的に救いを待っているだけの、意志を奪われた無力な人間であり、どちらかと言えば、『風立ちぬ』に登場する女性のように、悲しい犠牲者の風貌をしている。このストーリーの中では、本当の彼女はきっと、翼もなく、ただ痛ましい犠牲となって死ぬおびただしい屍の一人に過ぎないのであろう。この犠牲者としての風貌の中には、汚染された地域の被災者の悲しみのすべてが、隔離された人類全体の悲しみが投影されている。

この哀れな犠牲者の少女を解き放つために、結果的に、二人の主人公も命を失う(としか思われないのだが)というエンディングもかなり悲愴である。話の運びのテンポは良いが、『風立ちぬ』もそうだが、エンディングが、ハッピーエンドなのか、悲劇なのか分からないという消化不良を観た者に引き起こす。『風立ちぬ』の主人公は、明らかに体制側についた人間であり、自らの想像力を悪なる戦争のために利用され、妻を救う手段も見つけ出せなかった無力な人間である。彼には妻の愛情に報いる術もなく、彼女が死の床についてから、病める時も、人生を共にしてやるという伴侶のつとめを果たせず、むしろ戦争の大義を優先したような非力で無能な男性である。それとほぼ同じように、このビデオの中でも、主人公が英雄になれるのは、自分の空想の中だけである。

もしかすると、このあたりが、現在の日本人一般男性の思考と能力の限界かも知れないと思う。何しろ、この国は、真の意味での精神的自立を成し遂げたことが今まで一度もないのだ。だから、これまで、この国で生きるということは、多くの人々ににとって、マトリックスの一員、体制側の人間として生きることしか意味しなかった。特に、男性が、社会に認められようと思ったときに、完全に反体制的人間として、マトリックスを告発する側に立つことはほぼ許されなかった。こうした意味で、我が国の遅れて閉塞的な文化的・精神的な状態はロシアに非常によく似ているのである。

だから、この国の男性たちはおおむね誰もが自分の魂をどこかで置き去りにし、権力に売り渡しながら生きて来たのであり、それが悪であることは、本人の魂が重々知っている。だが、それより他の生き方を選択できないので、その人々は自分の心の本当の願いを、フィクションや、仮想現実や、空想に託すしかない。上記のプロモーション・ビデオも、ある意味では、良心を曲げられ、屈従を強いられた人間の慙愧の念と良心の叫びから出て来る「妄想」や「幻覚」に近い現実逃避としての「夢」のように見受けられる部分がある。

しかし、ASKAはおそらくこの仮想現実の物語を地で生きようとしていたのであろう。カルト宗教団体に捕われ、犠牲となった少女を見捨てておけなかった主人公のように、集団ストーカーの犠牲となった死んだ友達をも放っておくことができず、原発事故被害を見過ごしにすることもできず、犠牲となった人々を助けたいという生来の義憤と同情から、深い暗闇に自ら首を突っ込んで行き、自分自身もその犠牲となったのである。

だが、その同情と義憤にこそある種の非常な人間観の甘さ、お人好しさがあったのだと言える。結局、人間が自分の手で人間を救おうとする試みは必ず頓挫し、犠牲は犠牲の連鎖を生むだけで、どんなに美しく見える人の良心も、愛情も、義憤も、決して人を生かす真の力とはならない。人間の救いは神にしかなく、人間自身には義はないからである。犠牲の連鎖を抜け出る新たな生き方が必要なのである。

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