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私ではなくキリストⅢ(東洋からの風の便りII)

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」(ローマ6:6)

どんなに欺かれても…

KENTさんが記事に書いておられるので紹介します。

私たちはイエスキリストを最優先にしなければなりません。神を畏れない連中に騙され、欺かれたとしても、どうかガッカリせず嘆かないでください。希望を失わないでください。
たとえこの世の信仰に伴う環境がどんなに荒んでいたとしても私たちの希望と国籍は天国にあるのです。信仰の対象はイエスキリストただひとりであることを忘れないでほしい・・・、

また、カルト教会の膿の部分(堕落・腐敗)はまだ少ないと私は思うので、これ以上悪事がキリスト教界全体に行き渡ることが無いように、思慮のある健全な教会の牧師の皆さま方も注意を促していただきたいと思います。まちがっても彼らのような悪事を繰り返す牧師たちの集まりに交わることがないように・・・、

牧師やクリスチャンの皆様、あなたがたが真のキリストの柱であるなら何が重い罪で、何がいけないことであるのかわかるはずです。
最後に聖書の御言葉を二つ

「金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠とまた人を滅びと破滅に投げ入れる。愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することがあらゆる悪の根である。」(テモテⅠ6:9~10)
「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい」(ヘブル13:6)

金、名誉、地位、権力、快楽がこの世の幸福の条件とされるものであるが、これが得られたからといって幸福にはならない。金はこの中で最も魅力あるものだが、これを追い求めると、人生を狂わせ転落してしまう。」

 これは、牧師たちだけでなく、何よりも、カルト被害者に向けられた言葉です。キリスト教界で受け入れられなかった私のような人たちにも向けられている言葉です。どんなに周りに広がっている信仰の世界が殺伐としていても、どんなに人に欺かれても、どんなに人から冷たくあしらわれても、どんなに多くのものを失って、どんなに涙の日々を送ったとしても、どんなに孤独であったとしても、希望を失わず、私たちはイエス・キリストだけを見上げて、何度でも、立ち上がって進んで行きましょう。

「どんなに淋しい時でも どんなに悲しい時でも
イエスさまがいちばん イエスさまがいちばん

たとえそれが どんなばあいでも
イエスさまが いちばん
イエスさまが いちばん
だってイエスさまは 神さまだもの
だってイエスさまは 神さまだもの

どんなに泣きたい時でも どんなに叫びたくても
イエスさまがいちばん イエスさまがいちばん

どんなにいじわるされても
どんなに苦しめられても
イエスさまがいちばん イエスさまがいちばん…」

 子供の頃に覚えたこの賛美を思い出します。悲しんでいる方には、次の音楽の流れるページがきっと慰めになるのではないでしょうか…。

 人を狂わせるもの、それは自己愛です。
 目の欲、肉の欲、持ち物の誇り、金銭欲、権力欲…、これらはキリストにあって、すでに死に渡されているはずのものですが、クリスチャンの自己が死に切れなくなった時に、復活してくる欲望なのです。

 私たちはいつも思い出しましょう。私たちの自我そのものが、すでにキリストにあって死んだはずのものであることを。忘れないでおきましょう、私たちは全ての感情と、この世のものへのあらゆる執着に死んで、すでにキリストの花嫁として全身全霊を聖別され、召し出されていることを。

 たとえ貧しくて孤独な時に、心が寂しく、肉体が苦痛を覚えることがあったとしても、バプテスマを受け、召し出された以上、私たちは滅びに至る各種の欲望だけでなく、人への未練にも、愛情にも、憎悪にも、もはやとらわれていないのです。

 過去のどんな悲惨な事件にも、どんな失敗にもとらわれていません、孤独にも、悲しみにもとらわれていません、その代わりに、自分の正義にももはや死んでいるのです。自分で自分を裁くことさえ、必要ありません。全力で正義を実現しようと目指し、真実を訴えようと声を大に叫ぶことさえ、必要ありません。
 私たちに残されているのは、ただ、キリストを通して聖別されて、主と、そして、信仰の友なる者たちへ向けられる清い愛情なのです。憎しみはもうありません。恨みもありません。その清い愛をもって、互いに愛し合うことが、イエスが私たちにせよと命じられたことなのです。

 自ら傷つけた人と和解できる人は幸いです。しかし、たとえ和解できなくても、二度と会うこともない遠方にいる人であっても、キリストが私たちを愛されたその大いなる愛のゆえに、つらい過去を手放し、赦しましょう、愛しましょう。そうする力を主は望む者に必ず上から与えて下さると信じます。 


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