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私ではなくキリストⅢ(東洋からの風の便りII)

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」(ローマ6:6)

正義の仮面を被り、無実の教会とキリスト教徒を迫害する村上密氏の活動の危険②

先に述べたように、「鳴尾教会事件」とは、津村昭二郎牧師の後継者となるべく、教団から正式に鳴尾教会に派遣され、信徒からも期待を寄せられていたAB伝道師夫妻が、教会内での公の議論も手続きもなしに、不透明な理由によって、他教会に異動せざるを得なくなったことをきっかけに、2001-2002年に鳴尾教会で持ち上がった混乱のことである。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、鳴尾信徒らの要請に基づき、なぜこのような顛末となったのか、理由を説明し、事態を収拾するために、以下の資料を鳴尾信徒らに配布した。

この文書は、津村牧師の采配の下で、自分たちの置かれていた苦しい立を訴えるために、AB伝道師夫妻が教団の責任者に宛てて送った書簡である。

ここには、鳴尾問題の発端となった津村氏の引退にまつわるいきさつ、津村氏のワンマン教会運営ぶり、津村氏から伝道師夫妻にかけられた理不尽な嫌疑、津村氏から伝道師夫妻に対する理不尽な扱い、伝道師の置かれていた過酷な生活状況、さらには教団理事であり津村氏の義理の息子であった村上密氏による鳴尾教会人事への度重なる密室での公正さを欠く不透明な介入等の具体的な詳細がよく示されている。

この書簡には、教団から配布された時点で、津村氏からの公式な反論も併記されていた。そこで、これは決して一方的にAB伝道師の主張だけに肩入れした不公平な資料とは言えない。しかし、すでに述べた通り、津村氏の反論を考慮しても、なお依然として、津村氏が自らの後継者として派遣されたAB伝道師夫妻をなぜ「後任にふさわしくない」と断定して鳴尾から追放せねばならなかったのか、相応の重大な理由が存在したとは誰の目にも理解できないのである。

むしろ、この資料を通して浮かび上がって来るのは、信徒からも信頼を得ていたAB伝道師を鳴尾から異動させるという重大な決定を、鳴尾の役員会で審議することもなく、鳴尾信徒には一切相談も説明もなしに独り決めしてしまった津村氏の独善的な牧会の抱える重大な問題、および、それに便乗するような形で、当時、教団理事であったとはいえ、鳴尾教会内では何ら公の資格を持っていなかったにも関わらず、あたかも自分が津村氏の代理人であるかのように、鳴尾信徒を徹頭徹尾蚊帳の外に置いて、鳴尾教会の人事に不透明な介入を繰り返した村上密氏の信頼性に欠ける行動の問題点である。

こうした津村氏と村上氏の信頼できない行動と、AB伝道師が津村氏の下で強いられていた過酷な生活条件を見るときに、津村氏及び村上氏が両伝道師にかけた様々な疑惑は、決して根拠あるものとは言えず、むしろ、AB伝道師を都合よく鳴尾教会から追放するために作られた口実だったと見るのが適当であると思われてならない。

なお、文中の赤字は筆者による強調津村師からの反論は紫字、さらに筆者の注釈は青字で加えた。個人名と地名は伏せ、伝道師夫妻の名前は便宜上A師(夫)B師(妻)とする。

 



「教団総務局長 内川 寿造先生


内川先生、先日は突然のお電話、失礼しました。今までの経緯について、順を追って出来るだけ➀客観的に事実を報告させて頂いた方がいいかと思って改めて文書にしています。

➀ 事実だけではなく、想像して記載されている部分が多い

(残念ながら、この資料において、AB伝道師が事の次第を極めて丁寧に詳細に説明しているのに対し、津村氏からの反論はその10分の1にも満たないごくわずかな量であり、とてもではないが、事実関係を丁寧に説明した信憑性のあるものとは言えない。

 この他にも、津村氏が教団に宛てた手紙も鳴尾信徒らに配布されたが、そこにもこの資料以上の具体的な反論は何も記されていなかったので割愛する。

 上記のような津村氏の短い反論を通しても明らかになるのは、同氏は普段から何事についても圧倒的な説明不足であった(もしくは説明しようとの意欲が不足していた)という問題である。
 
 津村氏は教会内で物事を決める際にも、きちんと物事を周囲に相談し、予め十分に周囲の納得を得られるように説明することがほとんどなかった。むしろ、説明抜きに、自らの意志を一方的に押し通してしまうことがほとんどであったと言える。
   そういった事情から、鳴尾信徒らは常に津村氏の説明不足の部分を「推測」や「想像」で補いながら、同氏の心中を忖度して行動するしかなかったのである。

 それは伝道師も同じであったろうと見られる。従って、たとえこの手紙でAB伝道師が「想像」で何かを書いている部分があったとしても、それは津村氏の説明不足が原因で引き起こされたことであり、伝道師の「想像」が先走りした結果ではないのだと言える。

 だが、むろん、津村氏自身はそんなことには全く思いが至っていないことは言うまでもない。) 

   
    実はAPTSを卒業する前に七条教会で村上師と卒業後のことについて話し合う機会がありました。2000年の冬だったと記憶しています。村上師の話では、「津村師は二年後に引退する意志がある」「引退は鳴尾教会の役員も承知のことである」「その上でA師を鳴尾教会の後継として招聘したい」「礼拝説教も少なくとも月に一度はA師に任せる。二年目からは月に二度は依頼する」との事でした私達は当然、村上師個人の見解というよりもむしろ一理事の発言として理解しました。我々としては卒業後の任地に特に希望はなく地方教会でも小教会でも構わないという考えでしたので、何故鳴尾なのだろうかと戸惑いましたが、理事の見解がそうであるならと祈りつつ備えました。

(ここから、AB伝道師の鳴尾教会への赴任前、村上密氏がAB伝道師を呼び出して、鳴尾教会への派遣の際の具体的な「条件提示」を行なっていたことが分かる。

 その条件とは、 
1.津村氏は二年後(2002年)に引退する予定
2.津村氏の引退には教会役員も同意済である
3.津村氏の後継者となる前提での赴任である
4.礼拝説教は月1度行う
5.二年目からは月に2度は行う
 というものであった。

 しかし、ここでなぜ津村氏は自らの口から以上の条件を伝道師に伝えず、村上密氏がまるで津村氏の代理人のようになって、津村氏の同席もない場所で、むろん、鳴尾の信徒も一人もいない密室に等しい場所で、AB伝道師に、証拠の残らない形で、これほど重大な話を非公式に持ちかけたのだろうか。そのこと自体が極めて異常であり、適正な手続きの欠如を示す深刻重大な問題であったと言える。

  村上氏は一体、どんな権限に基づいて、このように鳴尾教会の人事問題に介入したのだろうか?

 仮に村上氏が津村氏から何らかの委託を受けてそのような行動に及んだのだとしても、津村氏の同席なく、第三者の立ち合いもなく、役員会のような開かれた場でなく、記録も証拠も残らない形で、このような重大な「条件提示」を一方的に伝道師夫妻に行ったのは、あまりにも適正を欠く非常識な行為であったと言える。

 そもそも鳴尾教会の後任者を誰にするかという極めて重大な問題は、津村氏の立ち合いなしに決められて良いことでなく、さらに、鳴尾教会内での役員会を含めた信徒の話し合いを経てから、決定されるべき事柄であった。鳴尾教会の指導者でなければ、役員でもなく、同教会と直接の関係を持たない村上密氏が、鳴尾信徒をよそにして自らの一存で介入できる立場にはなかったことは明白である。

 教団理事といえども、緊急事態でもないのに、他教会の指導者及び信徒のいない非公式な場所で、他教会の人事について一方的に関与できるような権限は与えられていないはずである。

 そこで、これは正当な根拠に基づかずに尾教会の信徒全体の頭越しに密室で行われた談合のようなものであり、そこから見えて来るのは、この当時から、村上密氏が津村氏の義理の息子であるという立場を存分に利用して、自らに公に与えられた権限の範囲を踏み越えて、鳴尾教会の内政に暗闇で介入をはかろうとしていた事実である。

  しかも、さらに悪いことに、この時、津村氏の同席なくして村上氏がAB伝道師に行った「条件提示」の内容は、後になってことごとく、事実ではなかったことが判明した。そうなったのは、この時、村上密氏が創作で嘘をついていたせいなのか、それとも、津村氏が村上氏にそのような事実ではない条件を伝えて話し合いを依頼していたためなのか、今となっては不明である。

 いずれにしても、村上密氏は誤った情報をAB伝道師に伝え、それを前提条件として彼らに鳴尾教会への赴任を促したわけであり、これが後に大きな事件を引き起こす原因となって行ったのである。

 にも関わらず、村上氏は自分がAB伝道師に伝えた内容の誤りについては、今日に至るまで何の責任も取っていない。むしろ、村上氏は、初めから、そのようなこじれた事態に発展する可能性があることを見越した上で、後々、自分が矢面に立たされて責任を追及されることがないよう、あえて第三者もおらず、記録も残らない密室で話し合いに及んだのかも知れないという疑惑が生じる。
 
 このように、鳴尾教会内では何の権限も持っていなかった村上密氏が、津村氏の立ち合いもなしに、証人もいなければ、記録も残らない、非公式な閉ざされた話し合いの場で、鳴尾教会の命運を左右するような、極めて重要な決定に関与したことは、恐るべきことであり、不透明かつ適正さを欠く事柄であった。一体、同氏は何を目的にそれを行ったのか、追及されなければならない。
 こうして、正当な権限を持たないのに、他教会の人事に不当に介入を試みる者が、到底、信用に値せず、また、介入の動機も疑われてしかるべきであることは疑いの余地がない。)

 
 2000年の三月にはAPTSの卒業式があり、日本からは内村師が理事として出席くださいました。その時、我々は復職に当たり、内村師から面接を受けています。その後、しばらくクラス等の関係で帰国が遅れ、四月の半ばに帰国し、4月30日に正式に鳴尾教会の伝道師として赴任しました。

 しばらくして気付いたのは、村上師の認識と津村師や役員会の認識との間に相当のズレがあるという事でした。先ず、津村師が二年後の引退を毛頭考えておられないこと、役員会は何一つ知らされていないこと、津村師は主管を退く意志はあっても、その後も鳴尾教会で奉職したい希望を持っておられること等でした。また、②礼拝説教に関しましても私が2000年度に奉仕させていただいた回数は合計5回でした。因みに2001年度は10月20日現在で10回です。実際、私達は派遣されて二年近くになりますが③未だに教会の経済状態が分かりません。過去の教会資料に関しても④牧師館にしまわれていて全く分からない状態です。

(ここでAB伝道師は、村上密氏によって行われた「条件提示」が事実と異なるものであったことを指摘している。具体的な相違点は以下の通り。
 
 1.津村氏は二年後に引退する予定 ⇒ 二年後に引退する予定などなかった
   2.引退は教会役員も同意済である  ⇒ 役員会は引退の予定など知らない
 3.津村氏の後継者となる前提での赴任である
    ⇒引退後も、津村氏は鳴尾で奉仕を続けるつもり。
 4. 礼拝説教は月1度伝道師が行う    ⇒ 年に5回しか説教を担当できなかった
 5.二年目からは月に2度は行う        ⇒ 2年目になっても月1ペース
 
 さらに、教会の経済問題が分からない という問題が発生した。

 また、津村氏はたとえ引退しても、鳴尾を退くつもりはなく、(あるいは名誉牧師のような形で?)鳴尾で奉職し続けるつもりであることが判明した。
 これはつまり、伝道師が本格的に後継となれるのがいつの日になるか分からないことと、津村氏の引退後の世話はすべて伝道師が行わねばならないことを意味したが、津村氏はこの点について全く否定していない。)

② 礼拝説教の回数はそのとおりだが、第1祈祷会、第2祈祷会、および、地区集会の説教を多く担当した。早天のお話し、英会話時の聖書のお話等
 
 (②における津村氏の反論は、どれもメインとは言えない行事の説教のことなので、伝道師の主張に対する具体的な反論とはなっていない。要するに、メインの説教は津村氏がほとんど独占し、なかなか伝道師には回そうとしなかった事実が見て取れる。)

 ③ 教会では毎月の会計報告は、役員会で検討・承認している。伝道師両師は毎回役員会に出席しているが、会計については一度も質問したことがない。信徒総会で1年の決算・予算について審議したが、両師は一度も質問したことがない。
 
(③については、確かに毎月の会計報告は役員会で承認されていたが、その会計報告は形式的なものでしかなかった。津村氏は役員会でも信徒からの意見や質問に十分に耳を傾けずに一方的に話を進めるのが常であったため、役員会での「検討や承認」は十分なものとは言えなかった。
 さらに後になって、津村夫妻のために会計から計上されていた「伝道牧会費」の使途を津村氏は尋ねられたが、その具体的な用途を信徒らにきちんと説明することができなかった。)

④ 過去の教会資料について両師は一度も閲覧希望したことがない。

(④ 牧師館資料については、牧師館に住んでいるのは津村氏夫妻だったので、伝道師らは立ち入るのに遠慮があったろうし、おそらくは津村氏のワンマンぶりがひどかったので、言い出せる状況になかったものと推測される。しかし、そうした事情を考慮に入れて、たとえ伝道師からの閲覧希望がなくとも、本来は当然、津村氏から伝道師に説明して引き継ぐべき事柄だっただろう。)

 
 この時点で我々の立場は何なのだろうかと戸惑いましたが、とにかく理事会に任命された異常、務めを果たそうと努力してまいりました。

 そして、2001年の10月18日、理事会が終わった翌月の朝、突然村上師より電話を頂きました。話があるので午後、訪ねていっていいかとの事でした。我々としては理事会の翌日のことでしたので、人事のことかもしれないと推測しました。

 村上師の話の内容を正確に伝えますと「津村師は2002年に引退なさる意志はなく、少なくとも教会50周年を迎える77歳までは現役でいたい」ということと「AB伝道師を後継者とみなすには疑問を感じる」との事でした。但し、これはあくまでも村上師から伺った話であり、⑤津村師本人からはこの旨を一度も伺ったことはありません

⑤ 両師の正教師任命後、私は来年、主監者になって欲しいという希望を両師に対して個人的に述べた。

(⑤での津村氏の反論はあまりにも言葉足らずだが、言わんとしていることを通訳するならば、次のようになるだろうと思う。

「当初は私も2002年からA伝道者に主監者を譲るつもりでいた。その旨は伝道師にきちんと伝えていた。だから私には引退する意志がなかったというわけではなく、また、引退するとウソをついて騙したわけでもない。ただ、伝道師が後継者にふさわしくないと判断せざるを得ない問題が起きたので、結果として私の引退の話はなくなったのだ」
 
 しかしながら、もし津村氏が本当にAB伝道師を「後継者にふさわしくない」とまで判断したのであれば、なぜそのような重大な決意を、津村氏は(同じ教会に住んで毎日顔を合わせている!)伝道師に直接、誤解のないように伝えなかったのか。

 また、なぜ役員会できちんと発表して、信徒らに理解を求めなかったのか。

 なぜかここでも再び、村上密氏が登場する。村上氏はあたかも自分こそが津村氏の代理人であり、鳴尾の命運を決定できる権限を持っているかのように振る舞い、またもや津村氏の同席なしに、「津村氏の意向」をAB伝道師に伝え、鳴尾人事に資格なく介入するのである。

 こうした村上氏の度重なる介入のために、鳴尾信徒は常に蚊帳の外に置かれたまま、事態は余計にこじれ、悪化し、不透明なものとなって行った。伝道師夫妻にも、一体、どこまで村上氏が津村氏の内心を正確に語っているのか、それさえ分からないまま、密室で一方的に話が進められたのである。)

  
    村上師は後継として疑問を感じる点に関しては次の二点を理由に挙げておられました。第一にB師の説教がまずいという事。これは少し説明させてください。2001年5月20日の礼拝でB師が始めて礼拝説教を担当しました。テキストはヨブ記1:1-12でした。ここでB師は⑦ヨブ記において、サタンは神の敵ではない、という発言をしました。彼女の未熟な点もあり、後から考えると誤解を招きかねない表現だったのですが、彼女としてはサタンと雖も神の主権の下にあって神の意志を超えては働けない。従って、我々は必要以上にサタンを恐れる必要はない。サタンは神と対等の力を持っているのではないという事を一番強調したかったのです。それはメッセージをちゃんと聞いてくだされば十分伝わる事と思います。

⑦ 説教の中で、B師は続けて「サタンは神のしもべである」と発言した。

(⑦ ここで、村上氏が伝道師に伝えたところによると、津村氏がAB両氏を「鳴尾の後継にふさわしくない」と判断した最も重要な理由の一つが、B氏の説教が「異端的だ」と津村氏が考えていることであると判明した。

 「説教がまずい」というのは、話下手だという意味ではない。以下のA氏の指摘からも分かるように、説教内容が「異端的だ」という津村氏サイドからの非難なのである。だが、これはB氏が初めて鳴尾で説教を行なった際の津村氏の指摘であり、つまり、津村氏は一度たりともB氏の説教を温かく応援したり、祝福し、励ましたことがないという事実にも注意が必要である。
 
 そして、もちろん、伝道師の言う通り、説教内容の「異端性」を論じるためには、津村氏のしたように膨大なメッセージの中から一文だけを抜き出すのではなく、全体の文脈を考慮して論じなければ意味がない。さらに、異端的かどうかという判断を下すにあたっては、公の討論が必要であり、津村氏一人だけで決められることでもないだろう。

 たとえば、「サタンは神のしもべである」という表現も、場合によっては、「サタンももとを辿れば神のしもべである」という意味で発せられたかも知れないし、また、「サタンは神の敵でない」という表現も、「サタンでさえ最終的には神の敵になり得ない」という意味で使われたかも知れない。こうしたことは、口頭のメッセージでは分かりにくく、前後の文脈を見なければ判断がつかない事柄である。一文だけを取り上げて議論するのがふさわしくないのは明白である。)

 
   ところが、津村師にしてみれば「サタンは神の敵ではない」という言葉だけが強烈だったようで、5月23日の打ち合わせの際にひどいお叱りを受けました。「今まで、私はサタンは神の敵だと信徒に教えてきたのに牧会上、混乱をきたすことを講壇から伝えられては困る。⑧あなたが謝らない限り、二度と説教の奉仕は回らない」と相当感情的になっておられました。

⑧ サタンは神の敵ではないということを、誰から学んだのかを質問したら、B師は「ダビデ先生から学んだ」と答えた。私は「もう一度、ダビデ先生に聞いてください」と言った。特に私が強調したのは、「神学的にではなく、牧会的に牧師と伝道師が相反する教えをするのは矛盾ではないのか」ということである。

(⑧ この反論では、津村氏は実際に伝道師を叱りつけた時に比べ、かなりトーンダウンしており、神学議論を避けようとしているように見える。
 伝道師夫妻を直接、叱責した際には、津村氏はあたかも異端的な発言が行われたかのように憤慨し、謝罪を求め、それがなければ二度と説教は担当させないとまで言ったものの、反論では、異端の疑いという言葉を津村氏は一切、述べていない。むしろ、「神学的にではなく」とあえて神学論争をするつもりがないことを強調し、ただ自分の説教と異なる主張をされると矛盾が生じて困るから注意をしただけなのだと話をすり替えている。

 当初は、特定の人物に対して大々的に異端の疑惑をかけて騒ぎ立てておきながら、いざ細かい神学論争が必要になると、急に話をすり替えてごまかすという手法は、津村氏がB氏に対してだ行っただけでなく、後に村上密氏が後に鳴尾教会の牧師夫人山田晃美氏に対して異端の疑惑をかけた際にも用いたことに注意が必要である。

 つまり、このように正当な議論も根拠もないのに一方的に異端疑惑を「ふっかける」ことによって、ターゲットとした人物を貶めようとする手法は、村上+津村サイドの常套手段であったと言える。)
 

  
    これに対してB師は「私の説教に関して何か信徒から苦情やつまずいた等の連絡はあったのでしょうか」と伺いました。津村師はそれに対しては「ない」と答えられました。B師にしてみれば、信念を持って御言葉を語ったこともあり、信徒がつまずいてもいないのなら謝る筋合いのことでもないと判断し、「表現には至らない点はあったかもしれませんが、よく説教を聴いてくだされば私の趣旨がご理解いただけると思います」とだけ申し上げてその場では喧嘩別れのようになりました。

(確かに、鳴尾信徒がB氏の説教を聞いて異端の疑惑を持ったり、その内容につまずいたり、苦情が発生したという出来事はなかった。もちろん、B氏が鳴尾教会を去った後も、そのような疑惑が招じたという話は聞いたこともない。そのような問題を提起したのは津村氏1人しかいないのである。)


 その後、6月20日に再び、打ち合わせがありました。津村師はその席でもヨブ記の件を取り上げ、⑨「まだ謝る気はありませんか」と念を押されましたB師は「何が間違っているのでしょうか」と自分の信じているところを再び説明申し上げたのですが、津村師は前回以上に感情的になられ、暴力の危険を感じるほどでした。もう少しで手が出るのではないかというところでした。私も彼女が誤解されたままでは気の毒と思い、⑩援護射撃に回りました。津村師は「先生までそんなことを言われるのですか。もういいです」と一方的に話を切り上げられました。まるで我々の信じているところが⑪教理的に致命的な間違いで異端でもあるかのようなご様子でした

⑨ 私はB師に「ダビデ先生に聞きましたか」と尋ねた。B師は「ダビデ先生には聞いていない。私は他の本も読んでそう教えられた」と答えた。「5月30日にはダビデ先生に責任があるように発言したのに、他の書物や先生から教わったのであれば、ダビデ先生に謝る必要があるのではないか」と私は言った。私は6月20までにダビデ師に直接この件について電話で尋ねた。ダビデ師は「私はそんなことは教えていない」と答えた。

(⑨ ここでの津村氏の反論では、議論そのものが成立していない。津村氏自身が、B氏は「ダビデ先生を含め、他の本や先生からも教わった」と述べたと主張している。ところが、津村氏はそれをあたかも「ダビデ氏ではない他の本と先生から教わった」という意味であるかのようにすり替え、「ダビデ先生から教わってもいないことを、ダビデ先生から教わったかのように主張したのだから、あなたはダビデ先生に謝らなければならない」と、話をすり替えて、今度はダビデ氏への謝罪を迫っているのである。

 こうして、話の内容がどんどん変わって行っていることに注意が必要である。津村氏は、当初は「異端的な内容を説教したのだから、あなたはこれを撤回して私に謝罪せねばならない」と言っていたのが、いつの間にか「ダビデ先生が教えていないことを主張したのだから、ダビデ先生に謝罪しなければならない」と話が変わり、「異端の疑惑」もうやむやにされ、ただ「私の説教と矛盾した内容を話されては困るから注意をした」と、叱責の理由も変わっているのである。

 ダビデ氏については、津村氏がどのような形でこの事件をダビデ氏に伝え、何をどう説明し確認したのかも分からない以上、津村氏の反論は具体性がないと言える。ここから感じられるのは、とにかく謝らせたい、何が何でも謝らせたい、というB氏に対する津村氏のおさまらない怒りだけである。

 これがB氏の鳴尾での初めての説教の時になされた叱責であったことを考えても、こうした津村氏の反応は、あまりにも行き過ぎているように思われる。最初の説教であることを考慮すれば、もし仮に不慣れさから多少表現に至らない点があったとしても、血相を変えて叱責するほどのことでなく、やんわりと注意すれば済むことだったであろう。

 にも関わらず、B氏への一言の温かい応援も励ましもないまま、さらに信徒から苦情があったわけでもないのに、ここまでの叱責を津村氏が繰り返し行ったこと、さらにはそれを後に伝道師らの異動の口実にさえしていったことから感じられるのは、説教の内容以前に、津村氏は女性伝道者が説教をすること自体を快く思えず、B氏の説教を会衆の一人として穏やかに謙虚に聞けるような心境は全くなかったのではないか、という疑問である。

 しかも、A氏は、津村氏がB氏に対してひどく感情的になり、暴力の危険さえ感じるほどであったと述べているが、津村氏はこの点についても否定していない。津村氏を知っている者として、そういうことは十分にありうると考えられるのである。


⑩ A師は「津村師がノーと教えて、私がイエスと教えても良いんじゃありませんか」と言った。

(⑩ 残念ながら、津村氏は全く知的な議論ができない人であった。議論すること自体が苦手であればこそ、同氏は人から反論されることにプライドを傷つけられたように感じ、まして女性から反論されることには、それだけで耐えられなかったのだろうと想像する。
 
 だが、何を言っても議論にならない相手に対しては、A氏がしたように、⑩のように返答するしか方法がない。) 

⑪ これはA師の推測である。私は信徒に対して牧会的に矛盾のない話しをすることが必要ではないかと強調した。

 ⑪でも、津村氏は一生懸命に自ら述べた「異端疑惑」を打ち消そうと努力している。神学論争になると困るので、自分は異端だと指摘したのではなく、ただ自分の説教と一致しない内容を話されては困るから注意したのだと後から話をすり替え、細かい議論を避けようとしているように見える。

 もしB氏の説教を異端だと言ってしまえば、当然ながら、神学論争に発展し、そうなると、自分は議論に負けるだろうと予測してのことだと思われる。

 だが、もし津村氏が神学論争によってB氏の異端疑惑を証明できないことを自ら認めるのであれば、B氏が説教で述べた事柄は、何ら聖書に反する虚偽ではないということになり、津村氏の怒りを正当化する理由がなくなってしまう。
 
 もしB氏の説教が異端的でないのであれば、B氏が津村氏の見解に一方的に合わせなければならない理由も存在しない。津村氏の言うように、同じ教会で、牧師と伝道師の説教が食い違うと困るということがあったとしても、だからと言って、どうして津村氏だけが自分の見解に一方的に合わせるよう他人に求めて良いだろうか。逆に津村氏が他人に歩み寄ることもあってはいいのではないだろうか。
 
 しかし、津村氏の主張は一貫して、自分こそが主監者であるから、自分の見解に他人はみな合わせ従うべきであるという考えを出ない。聖書の御言葉を曲げるような妥協ができないのは聖職者として当然であるが、津村氏が述べているのはそういうことではない。異端の疑惑もないのに、自分と異なる見解や表現を他人が使うことが全く容認できず、ただ相手にだけ一方的に自分に合わせるよう求めるその態度からも、津村氏のワンマンぶりが浮き彫りになっていると言えよう。)

 
   話が長くなりましたが、第一の理由の背景は以上です。

 第二の理由としては「Aが何の報告もしてくれない」というものです。具体的に何の事をおっしゃっておられるのか見当もつきませんが、私としては⑬津村師には大切なことは逐一報告させて頂いているつもりですし、見解の相違があるようです。

   勿論、この二つの理由もあくまでも村上師から聞いたことで、津村師本人からは何一つ伺っておりません。

⑬ 毎月1回、牧師とAB両師との打ちあわせのときに私は「伝道について提案はありませんか」と聞いたら、それについては、いつも「ありません」との答えしか返ってこなかった。

(⑪ ここから、「B氏の説教の異端疑惑」に加えて、津村氏がAB伝道師が「鳴尾の後継者にふさわしくない」と判断した第二の理由が、「A氏による津村氏への報告義務違反」であったことが分かる。といっても、これも村上密氏の言葉を通して伝道師に伝えられたことなので、どこまでが津村氏の本心であったのかは誰にも分からない。

 ここでA氏が述べているのは、「A氏が津村氏に重要なことを何も報告しておらず、それゆえ、後継者として不適格だと津村氏がみなしている」と、村上密氏を通じて知らされたという事実である。

 ところが、これに対しても、津村氏は話をすり替えて答えている。津村氏は「毎月1回の打ち合わせの時、伝道についての提案が何もされなかった」と、ここで全然別の話を持ち出して反論しているのである。「重要な報告を怠った」ことと「伝道について提案をしなかった」ことは誰が聞いても全く別の話である。

 このように、両者の言い分が完全にちぐはぐになって議論が成り立っていないことが、果たして、村上密氏が津村氏の内心を誤って伝道師に伝えたせいで起きているのか、それとも津村氏が後から話をすり替えているだけなのか、それははっきりとは分からない。

 だが、以下で伝道師が示しているように、津村氏は伝道師夫妻に対して「朝・昼・晩」の一日三回も予定表を提出せよと要求していたのである。ブラック企業でも見られないほどの統制ぶりと言えるが、ここまで綿密に部下に報告を出させておきながら、「重要な報告を何もしてくれなかった」とは、主張できるはずもない。だから、これは津村氏が後から話をすり替えて、自らの言いがかりの不当さをごまかそうと弁明しているのだと判断されるのである。

 
 結局、津村氏の反論から分かるのは、津村氏がAB伝道師夫妻を「鳴尾の後継者にふさわしくない」と判断した二つの理由は、両方とも正当性がなく具体的な根拠にも欠けるということである。

 もし百歩譲って、本当にそれが重大な疑惑であったとしても、そうであるならば、なおさらのこと、きちんと公の場での検証が必要であった。役員会等での検討も経ないうちに、鳴尾の後継者問題を、津村氏だけの一存で決めて良かったという結論にはならない。ましてその一方的な決断を、津村氏の同席なしに、村上密氏が密室で伝道師に伝えて異動を迫るという形式が言語道断なのは言うまでもない。)

 
 村上師は以上の二つの理由を挙げられた後、「今後、先生方はどうなさいますか」と尋ねられました。誤解にならないように申し上げますが、直接、異動届を出せという促しは一度もありませんでした。但し、我々としては異動させたいというニュアンスを感じたのは事実です。私としては「もし、異動を我々が希望するなら津村師の許可を得ないで黙って理事会に提出してもいいのですか」と尋ねました。これに対して村上師は「津村師には私から伝えるから構わない」との事でした。

(村上サイドがここで伝道師に強いた展開には呆れて言葉もない。

  まず、AB伝道師が鳴尾の後継にふさわしくないほどに問題があるかどうかという点については、すでに述べた通り、きちんと教会内の公の場で議論されるべきであった。

 その上で、もし仮に彼らが鳴尾の後任としてどうしてもふさわくないと津村氏が判断したとすれば、その事実は当然ながら、教会での議論の後、津村氏本人から、直接、伝道師に伝えられるべきであった。

 ところが、その二つともの手続きを経ないまま、今回もまた鳴尾教会とは直接の関わりのない村上密氏がしゃしゃり出て来て、津村氏の同席なしに、津村氏の代理人であるかのように、「津村氏の意向」を伝道師に伝えるのである。

 そもそも教会内人事という極めて重大な問題が、このように閉ざされた非公式の話し合いで決められること自体、すでに述べた通り、極めて異常であると言わざるを得ない。

 それにさらに輪をかけて異常なのは、津村氏以外には知ることもなく、教会内で議論もされず、十分な裏付けも取れていない「疑惑」に飛びついて、村上氏が伝道師夫妻に密室で異動の決断を迫ったことである。
 
 村上氏はその際、あろうことか、「先生方はどうなさいますか」というあいまいな質問でお茶を濁し、伝道師夫妻に自主的に鳴尾を去るように暗に圧力をかけている。村上密氏が、自身の口からからはっきりと異動届を出せと言わなかったことも、同氏が自らこの事件に関与していることを公には隠して、自分が後から言質を取られたり、責任を負わされずに済むように、この異動をあたかも伝道師夫妻の自主的な決断であるかのように見せかけて、証拠を残さないあいまいな形で介入した事実をよく示している。

 こうした村上氏の言動には、自分に与えられた権限の範囲をはるかに超えて、密室において他教会の人事に介入し、しかも、阿吽の呼吸で自分の願いを相手に読み取ってもらうことで、自分は矢面に立たず、証拠を残さず、暗黙の圧力によって物事を密室で自分の思う通りに決定していこうとする信用ならない行動がよく表れている。)
 

 
   また、「もし仮に、異動願いを提出するならどんな理由を挙げればいいのか」と尋ねたところ、村上師は「津村師が77歳まで引退する意志のないこと」「津村師が我々をを後任とはみなしておられないようなので、これ以上鳴尾にいる必然性を感じないこと」を挙げればいいとアドバイスされ、「B師の説教がまずいこと」と「Aが何の報告もしないこと」は伏せたほうがいいと助言されました。

(伝道師の手紙を通して、村上密氏の卑劣な脅しの手法がさらに浮き彫りになる。ここで、村上氏は津村氏の言い分を盾に、伝道師夫妻に取引をもちかけている。つまり、もし伝道師夫妻が「四の五の言わずに、黙って鳴尾から手を引き、自主的に異動した形にするならば、そうなった原因は、津村氏に引退する意志がないことにあったとしてあげよう。あなたたちにかけられている「嫌疑」は公にされることはない。あなた方はこの先も何ら鳴尾のことで責任を追及されることはないだろう。どうするかね?」とほのめかし、決断を迫っているのである。

 これは暗黙の脅しである。つまり、もし伝道師夫妻が村上氏の願い通りに異動届を自主的に出さず、鳴尾から手を引かず、津村氏の意向に真っ向から対立して、自らの潔白を主張して反論するようなことがあれば、津村氏が夫妻にかけた事実無根の言いがかりを、あたかも真実であるかのように言いふらし、教団内での伝道師夫妻の立場を悪くしてやるぞという脅しと受け取れるのだ。

 村上氏はこうして、津村氏が伝道師夫妻にかけた「疑惑」を可能な限り利用して、伝道師らを鳴尾から異動させるために「圧力」をかけるとし、もしこの疑惑をかき消したいならば、交換条件としておとなしく「取引」に応じ、自ら異動届を出すようにと伝道師に迫っているのである。(しかもその提案さえ、きちんと言葉にして伝えず、暗にほのめかすだけで、裏付けも取れていない疑惑が異動の真の理由であることを隠して、異動届を書かせようとしているところが、まるでヤクザ並みの手法である。)

 こうしたことをすべて証人もおらず、議事録も残らない密室で、暗黙のほのめかしによって実行した村上密氏の卑劣さ、不誠実さ、胡散臭さについては、何度、疑問を呈しても十分ということはない。このように常に公正な手続きを経ずに、密室の暗闇で影響力を行使しようとする人物が、到底、信頼に値するクリスチャンでないことは誰の目にも明白である。)


 三時間ほど話したでしょうか。私は人事の手続きに明るくありませんし、どうも筋の上で釈然としないものを感じましたので19日に〇〇の父に相談しました。「それは内川先生に連絡したほうがいい」との事でしたので、電話させていただいた次第です。

(むろん、以上のようなことは、伝道師のみならず、誰が聞いても「釈然としない」話である。いかに人事に明るくない人物であろうと、村上密氏によるこのような話の運び方には、ただ胡散臭さしか感じられないのが当然である。

 この時、AB伝道師は自分たちが村上氏に脅されており、根拠もない「疑惑」を材料に、交換条件として異動を迫られているとまでは気づいていなかったかも知れない。だが、彼らも、津村氏と村上氏の暗黙の圧力によって、自分たちが不当に追い詰められていることに危機感を覚えていればこそ、教団内にこうした事態を食い止めることのできる人物がいないかと助けを求めたのである。)


  もし、村上師が津村師の本音を我々に隠しておられたなら、事態はここまでこじれなかったのかもしれません。しかし、間接的にではあれ、津村師の気持ちを聞かされた以上、今までどおりの気持ちで奉仕するのは困難です。津村師と毎日顔を合わせるわけですから、当然しこりが残ります。

(このように、本来そのような権限を持っていなかったにも関わらず、村上氏は津村氏と伝道師との間に割って入り、両者の直接の対話を妨げることによって、両者の間に決定的なくさびを打ち込み、二度と信頼関係が回復しないようにしてしまった。それだけでなく、伝道者の心中で、もはや鳴尾で奉仕したいという気持ちが完全に失われて、彼らが自主的に鳴尾を去るように仕向けたのである。

 このように、異なる利害を持つ人々の間に巧みに割って入り、あたかも両者の言い分を仲裁するかのように見せかけて、不信感と対立を煽って信頼関係を損い、両者を分裂させて意思疎通を決定的に不可能にすることにより、自分が両サイドに対して優越的な支配権を握れるようにして、人間関係を思うがままに操作・支配しようとする分断のテクニックは、村上密氏の常套手段である。

 後にネット上で村上氏の支持者によって行われた信徒やカルト被害者に向けた分裂工作もそうであるが、村上密氏は常にこうしたやり方で、証拠の残らない密室で、信者同士の対立を巧みに煽っては、団結を阻止し、リーダーを追放したりして組織を弱体化させ、その結果、寄る辺のなくなった信者や教会を自らの教会に併合したりと、自分の利益を得て来たのである。

 このように暗闇で信者に分裂工作をしかける方法は、村上密氏が不都合な人物を失脚させる際に絶えず利用して来た手法であり、後に同氏が鳴尾教会に恫喝裁判をしかけた際にも、鳴尾信徒らの意志決定を分裂させるために積極的に利用された。村上氏は現在の牧師の頭越しに鳴尾信徒らに接近し、牧師への不満を煽っては、彼らを焚きつけ、教会が教団を離脱するという決定を下せないように(あるいは撤回するように)仕向けようとしたのである。

 推測するに、村上氏はAB伝道師に対して、決定的な形で津村氏への不信感を吹き込んだのと同様に、津村氏に対しても、伝道師夫妻への悪印象が残るように話を伝えて、両者の関係を回復不可能なまでに損なったのだと思われる。)


 我々は教団の任命によって鳴尾教会に派遣されたわけですから、今後の展開につきましても理事会のご判断にお任せいたします。但し、津村師の本音を聞かされた以上、鳴尾教会に留まりつづけることは正直言って気が重いのも事実です。この辺りのことをご配慮頂いて適切な判断をしてくださいますように宜しくお願いします。

(このように、村上密氏による信頼できない暗闇で卑劣な介入・分裂・分断工作によって、AB伝道師夫妻は、鳴尾で奉職したいという願いを失ってしまった。津村氏からの「言いがかり」に毅然と立ち向かい、同氏及び村上氏と公然と闘って、いわれなき嫌疑を晴らした上で、鳴尾の後任者としてとどまるよりも、ことを穏便におさめて自ら異動届を出し、鳴尾の地を去った方が良いと思い込まされてしまったのである。

 津村氏の身内である立場を利用して、このような圧力を、暗闇の密室で、徹頭徹尾、鳴尾信徒を蚊帳の外に置いて、伝道師に対してかけ続けた村上密氏の手法が、どれほど陰険かつ不誠実かつ信用ならないものであり、それが村上密氏による鳴尾教会内の人事へのどれほど不当な介入であったかは今更言うまでもない。だが、そのことを十分に理解した上でも、なお、次に示すように、当時、AB伝道師が津村氏の下で置かれていたひどい生活状況を考えるならば、彼らが津村氏と村上氏の「魔の手」を逃れるために、鳴尾を早々に去ったことは、彼ら自身にとっては良策であったかも知れないと思う。

 こうして弱い者を脅しつけて黙らせておきさえすれば、事は丸く収まると津村+村上サイドは考えていたのであろう。後継者を追放しさえすれば、津村氏は好きなだけ鳴尾にとどまって説教を続けられる。信徒は黙って教団の言うことを聞き、献金だけ払っておけばいいのだ。

 しかし、事態はそこまで単純ではなかった。それは鳴尾信徒らが彼らが予想していたほど愚かではなく、約四十年間の牧会期間を通して、津村氏の本質を鋭く見抜いていたためでもあった。

 もはや随分前から、鳴尾は津村氏を必要としていなかったのである。津村氏の牧会のワンマン運営、鳴尾信徒にとって重い負担となっていた。自分は少しも後ろに退かず、信徒との十分な対話の場も設けずに、教会の若返りなど、全ての課題を一方的に信徒だけに押しつけて、信徒の重荷を理解し軽減しようとしない津村氏の冷淡な態度に、鳴尾信徒らはどうしようもないやるせなさを感じていたのである。

 だが、それでも、同氏が後継者を快く育てようとしてさえいれば、結果は違ったかも知れない。突然、期待していた伝道師を訳の分からない理由で失うことを知らされた時、鳴尾信徒は、この事件の背後に大きな暗闇があることに気づいた。そして、疑惑の矛先は伝道師ではなくむしろ津村氏に向かったのである。

 繰り返すが、そうなったのは、伝道師が書簡で訴えた理不尽な状況に、鳴尾信徒の同情票が集まったからではない。もし約四十年間の牧会生活の間に、津村氏が鳴尾信徒の本心からの信頼を得ていたならば、後から来た若い伝道師が何かを主張した程度のことでは、牧師と信徒の信頼関係は揺るがなかったろう。

 だが、そうなるまでに、鳴尾信徒の多くは、津村氏の人柄をかなり正確に理解していた。だからこそ、事実は決して教団サイドにはなく、津村氏+村上氏サイドにはないということに、当初から多くの人々が気づいていたのである。)

 <後半に続く>
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正義の仮面を被り、無実の教会とキリスト教徒を迫害する村上密氏の活動の危険➀

 ~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師による
鳴尾教会人事への度重なる密室での不当な介入について~


写真:鳴尾教会の創立者のジュエル・プライス宣教師(左)と アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の津村昭二郎牧師(右) 出典:武庫川純福音キリスト教界NEWS

 


 

目次

.事の発端 
    ~鳴尾教会を引退するつもりのなかった津村昭二郎牧師~

2.騒動の原因
    ~村上密氏の介入により、密室で決められたAB伝道師の鳴尾からの異動~

3.津村氏をめぐる疑惑
    ~教団側文書によって明らかになった津村氏によるAB伝道師に対する一方的な嫌疑と理不尽な扱い~

4.混乱の深化 ~村上密氏による暗闇での鳴尾の人事への介入の問題点と、津村氏の責任をあいまいにした教団側の不透明で不適切な対応~
5.繰り返される悪夢
 ~教団側から鳴尾牧師に再びかけられた嫌疑~

6.事件のパターン化
 ~「津村氏の呪縛」? 村上サイドから鳴尾教会の牧者に繰り返されている攻撃~

7.「魔女狩り」の背景
 ~津村氏と村上氏の男尊女卑と唯我独尊の思想~

8.「魔女狩り」の理由その2
 ~村上氏は鳴尾をブランチ化したかった?~

9.本当の「異端者」は誰か?
 ~自己の無謬性を主張し、自ら神に代わって裁きを行うという異端~



 



1.事の発端 ~鳴尾教会を引退するつもりのなかった津村昭二郎牧師~

 
さて、鳴尾教会の問題に戻りたいと思う。鳴尾教会で起きた事件の問題については、かつて記事「『カルト監視機構』という名の秘密警察の設立について」においても説明したが、もう一度、ここで新資料を提示しながら、事件の全貌を振り返っておきたい。

鳴尾教会(現在の鳴尾キリスト福音教会(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に属していた頃の名称は「鳴尾純福音教会」)は、約四十年間、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の管理下で、津村昭二郎牧師によって牧会された。津村師の牧会時代、妻かほる氏は講壇に立つことはかったので、事実上、牧会者は津村師一人であった。

*なお、鳴尾教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団のもとで設立されたわけではない。鳴尾教会の創立者はアメリカ人宣教師のジュエル・プライス氏であり、1976年にプライス宣教師が帰国して以後、同教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の管理下に入った。

この津村氏は言わずとしれた村上密氏(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団所属七条教会、通称アッセンブリー京都教会牧師)の義理の父である。津村氏の娘の一人の恵子氏が村上密に嫁いだからである。しかし、村上密氏は津村氏の家族であるとはいえ、鳴尾教会で生活したことはなく、鳴尾で奉仕した回数も多くはなかった。

さて、2000年を迎えるより以前から、鳴尾教会の信徒らは、津村氏が高齢に達しているにも関わらず、後継者を迎えようとしないことに長い間、危機感を募らせていた。津村氏本人は、ベテラン牧師のプライドもあり、自分の気力・体力・知力の衰えを認めるつもりはなかったようで、引退の予定について自ら信徒に語ることはなかった。

だが、信徒の目から見て、教会は時代の変化に適応することを求められており、その中で、高齢となっていた津村氏にすべてを任せておくにはあまりにも大きな限界が感じられたことは確かである。(むろん、津村氏の活動の「限界」は高齢だけが原因では決してなかったのだが、そのことについては後述する。)
 
登録されている会員数だけ見れば、鳴尾教会は100人以上の信徒を抱え、人の目には比較的成功している大規模教会のように映ったかも知れない。しかし、これはあくまで帳簿上の数字であり、「死せる魂」が相当数存在していたことは否めない。

毎回の礼拝の平均出席者数はそこからかなり割り引いて考えねばならず、 さらに伝道集会となるとそれはもう悲惨なものであった。ほぼ毎回、新しい求道者がやって来ることは極めてまれで、空席の穴埋めのために古参信徒が動員された。

正直な話、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団時代の鳴尾教会の礼拝の雰囲気は冷淡で、時代の風潮からも取り残されており、福音伝道ということを抜きにしても、人の関心を引く魅力に欠けていた。当時、教団は米国発の新たな霊的ムーブメントの取り込みに精力を傾けていたが、これらの霊的ムーブメントには極めて怪しい非聖書的な教えが多分に含まれており、それは教会にさらなる混乱をもたらすことがほとんどであった。とはいえ、いずれにしても、教会が変革を求められている事実だけは、信徒は誰も否定していなかった。
 
そんな状況の中、鳴尾教会も、若者を積極的に取り込めるような新たな伝道スタイルを模索する必要に迫られていた。その過程で、新しい賛美歌を取り入れたりといった試行錯誤が行われたが、何しろ、高齢の牧師と高齢の信徒ばかりでは改革しようにも結果は知れている。何よりも、津村氏がただ一人の牧会者としてワンマン運営に慣れてしまって、信徒らの言葉に耳を傾けなくなっていることが大きな問題であった。高齢者の牧師が一人で牧会を続けることに信徒が不安を募らせないはずもなく、信徒らは教会の若返りの必要を感じており、津村氏の適宜引退と、教会に活気をもたらす若い吸引力となる後継者の牧師の赴任を望んでいた。
  
信徒らのこうした要望は、教団や、津村氏自身にも何らかの形で伝わっていたとみられ、鳴尾には実際に、2回ほど伝道師が派遣されて来た。しかし、いずれの場合も定着することなく、早々に鳴尾を去ることになった。一人目は結婚とほぼ同時期に教会を去り、二人目は海外から夫婦で赴任して来たが(便宜上、AB伝道師と呼ぶ)、後述の伝道師の書簡で示す通り、津村氏のワンマンぶりと人遣いの荒さのために極限状態まで追い込まれた上、津村氏によって異端の嫌疑までかけられて、教会を去ることを余儀なくされた。この事件には最初から最後まで村上密氏の密室での介入があった。

鳴尾教会で騒動が持ち上がったのは、後者のAB伝道師夫妻が教会を去ることが決まってからのことである。AB伝道師夫妻の他教会への異動は、鳴尾信徒の承認なしに、津村氏と村上氏の意向により密室で一方的に決められた。そこで、この事件が鳴尾の信徒らに知らされた時、それは信徒らにとって、全く寝耳に水であった。


2.騒動の原因 ~村上密氏の介入により、密室で決められたAB伝道師の鳴尾からの異動~

AB伝道師夫妻は教団から派遣されて以来、鳴尾の信徒らになじんで好意的に迎えられていた。伝道師夫妻と信徒との間で騒動が持ち上がったことはなく、平均年齢がかなり高かった鳴尾教会では、若く活気あふれる働き手は非常に貴重な存在として受け止められ、AB伝道師は津村師の後任者として信徒からも期待をかけられていた。
 
教会の後継者と目されて赴任して来た伝道師が教会を去るとすれば、よほどの重大な理由がなくてはならない。それに伴う信徒の失望もかなり大きいことが予想されるので、そのような決定は、きちんと教団・教会内でよく話し合った上、信徒も含めて、教会全体が納得できるような手続きを経て運ばなければ、教会に大きな混乱を引き起こすことは避けられない。

ところが、次の書簡でも示されているように、伝道師夫妻の鳴尾からの異動の決定は、村上氏と津村氏によって、鳴尾信徒らへは全く知らされることなく行われ、村上氏と津村氏は、密室で伝道師に異動を迫り、すべての出来事を信徒の頭越しに運んだのである。そうでなくとも、鳴尾教会では、すでに述べたように、長年に渡って津村氏によるワンマン運営が行われ、役員会までもが形骸化していたので、信徒らは教会の重要な意思決定において、常に蚊帳の外に置かれているも同然であった。

津村氏は持ち前の強引な性格と、教会には彼の他に牧会者がいないという事情を利用して、すっかり物事を独り決めすることに慣れてしまっており、何事も信徒によく相談したりお伺いを立てたり、信徒の納得がいくまで説明するということがなかった。その上、この事件には、教団理事であったとはいえ、本来、鳴尾とは直接の関係がなかった村上密氏が暗黙のうちに介入していたため、事態はより鳴尾信徒にとって見えにくく、複雑になっていた。すべての重要な決定が、鳴尾信徒を完全に蚊帳の外に置いたまま、村上氏が用意した密室での話し合いによって決められて行ったことこそ、この事件の混乱の最も主要な原因であったのだと言える。

その結果、AB伝道師夫妻が突然、教会を去る羽目になったことについて、最後の最後の段階になるまで、信徒には全く事情が知らされなかった。役員すらも事情を知らず、伝道師夫妻が異動することが明白となってから、ようやく信徒にその事実だけが知らされた。

当然ながら、ようやく後継者問題に解決が見いだせると期待していた鳴尾信徒らは、この頭越しの決定に大きな衝撃を受け、納得できないものを感じ、憤慨した。そして、なぜそんな決定が行われるに至ったのか、教団側に明確な説明を求めたのも、当然のことである。


3.津村氏をめぐる疑惑 ~教団側文書によって明らかになった津村氏によるAB伝道師に対する一方的な嫌疑と理不尽な扱い~

さて、教団は鳴尾信徒らへの説明の過程で、教団責任者に宛てて書かれたAB伝道師の苦情の書簡と、それに対する津村氏の反論を信徒らに提示した。この教団側からの説明の過程で明らかになったのは、AB伝道師の異動の決定は、彼らが鳴尾の後継者にふさわしくないと判断した津村氏の意向を受けて行われたものであり、津村氏と伝道師夫妻の考えには以前から大きな相違があったということである。

さらに、津村氏と伝道師らの見解の相違は、両者が直接話し合って物事を決めず、常に村上密氏が介入して津村氏の意向を代理で伝道師に伝えようとしたために、余計にこじれ、両者の溝が決定的なものとなって行ったことが判明した。

まず、この時点で初めて鳴尾信徒に明らかにされた重要な争点としては、次のようなものがあった。

1.AB伝道師夫妻は、津村氏が間もなく引退して後継に道を譲るということを条件に鳴尾教会に赴任して来たが、いざ赴任して見ると、津村氏には一向に引退の意志がないことが明白となり、約束が裏切られたこと。

(津村氏にあたかも引退の意志があるかのように伝道師に伝え、鳴尾への赴任を促したのは、津村氏本人ではなく、村上密氏であった。次に、津村氏には引退の意志がないと伝道師夫妻に伝え、鳴尾から異動するように促したのも、津村氏本人ではなく、村上密氏であった。

 津村氏は反論の中で、あたかも自分には後任に道を譲るつもりがあったかのように述べているが、実際の行動によっては、その意志は何ら裏付けられることがなかった。むしろ、津村氏が伝道師に嫌疑をかけて後継者を追放するという行為に及んだことにより、結果的に、彼には後継を育てるつもりがなく、引退の意志もなかったことだけが裏付けられた。)

2.津村氏がAB伝道師を排除するために、密室で彼らにさまざまな嫌疑をかけていたこと。その中には、B氏の説教が異端的であるという指摘や、A氏の牧会活動の不備への非難等も含まれていた。

(しかしながら、こうした問題は、すべて津村氏が一方的に密室でAB氏に対して提起しただけのものであり、教会内の公の場ではきちんと議論されたことが一度もなかった。鳴尾信徒に対しては、そのようなやり取りがあったこと自体、秘密にされていた。)

3.伝道師夫妻が鳴尾から異動することがすでに決定した後で、彼らの書簡を通して、2.における津村氏のAB氏への非難には正当な根拠がなく、B氏の説教の異端性を裏付けるだけの十分な証拠も、A氏の牧会の不備を裏付ける証拠も存在しなかったことが判明した。

(むしろ、AB氏の書簡から明らかになったのは、彼らにあまりに理不尽かつ配慮に欠ける労働条件・生活条件を耐え忍ばせていたのは津村氏の方であったという事実だった。そうした背景を見るならば、津村氏がAB両氏にかけた様々な「嫌疑」も、正当性のあるものではなく、むしろ、津村氏が伝道師夫妻を単なる労働力のようにしかみなしておらず、後継として尊重していなかった一連の理不尽な扱いの一環であり、両氏を教会から追いやるための口実であったと見る方が自然である。)

4.こうした津村氏の一連の圧迫的な言動によって極限まで追い込まれ、また、津村氏に引退の意向がないことなど約束が裏切られたことに不信感を持ち、さらに村上密氏による密室での圧力を受けて、AB伝道師夫妻の方でも、鳴尾教会にとどまることが無理だと判断して異動届を出したことが明らかになった。

(しかしながら、この決定もまた村上密氏が、津村師の同席なしに、鳴尾信徒の頭越しに、密室で伝道師に促した結果であった。)


4.混乱の深化 ~村上密氏による暗闇での鳴尾の人事への介入の問題点と、津村氏の責任をあいまいにした教団側の不透明で不適切な対応~

すでに述べた通り、教団側からの説明の際には、伝道師夫妻が教団に宛てて書いた苦情の書簡だけでなく、それに対する津村氏からの反論も、きちんと信徒らに示されたにも関わらず、それによっても、鳴尾信徒らから信頼を寄せられていたAB両氏をどうしても津村氏が教会から異動させねばならないほどの重大な理由が存在したとは誰にも理解できる状況ではなかった。

何よりも、これほど重大な決定を信徒の誰一人とも十分に話し合うことなく独り決めした津村氏の行動そのものが、鳴尾信徒に重大な不信感を抱かせたのであった。そこで、鳴尾信徒の大半は、AB両氏を鳴尾教会の後継者にふさわしくないとして教会から異動させた津村氏の判断は、適正を欠く誤ったものであったと理解した。

さらに後継問題と同時に、津村氏による教会会計の私物化という問題も提起された。会計問題は、津村氏の教会のワンマン運営の一部でしかなかったのだが、実際に使徒不明金の存在も指摘され、津村氏はその疑惑に対して十分に応えることができないまま、引退することになった。

このように、AB伝道師の書簡を含め、教団側が鳴尾信徒らに提示した文書の存在を通して、鳴尾信徒には、教会人事の決定が、それまでずっと津村氏と村上密氏の介入によって、鳴尾信徒をよそに暗闇で行われたことが明らかになり、その手続きの不当性、不適切さが問題となった。そこで、その文書の内容は、AB伝道師に対する疑惑よりも、むしろ、津村氏に対する疑惑をより一層、深めさせるものであった。

にも関わらず、教団側は、人事決定の手続きの公正さが正しく確保されていなかった事実や、津村氏にまつわる一連の疑惑に対して十分な説明を行うことがないまま、また、村上密氏の介入の責任問題をも全く明確にすることなく、ただ津村氏の自主的な辞任という結果だけで、言葉を濁したのであった。

こうして教団は、この事件の全体の責任の所在を全くあいまいにしたまま、真相を何ら究明することもなく、幕引きをはかろうとしたが、そのことが、鳴尾の信徒らに教団そのものに対する払拭しがたい疑念を生じさせるきっかけとなり、その後、同教会の教団離脱に至るまで、長く続く混乱の原因となった。

そうなった背景にも、津村氏の家族として、同氏をかばいだてしたい村上密氏の思惑が強く働いていたことは疑いの余地がない。


5.繰り返される悪夢 ~教団側から鳴尾牧師に再びかけられた嫌疑~

このようにして、鳴尾教会は、後継者と期待していた伝道師(異動の時点では正教師になっていた)を失い、主任牧師も引退によっていなくなり、それらの出来事を引き起こした事件は一体、何だったのかということについても、教団からは何ら明確な説明を得られないまま、無牧の混乱の中に投げ出された。

その後、教団から鳴尾に新たな牧師が後任として派遣されるまでにも、相当な月日が経過した。こうした事件は、鳴尾信徒に深刻な悪影響を与え、後任の牧師が赴任するまでの間にも、起きた事件の理不尽さや、教団の不透明な対応に失望し、これに愛想を尽かした信徒の深刻な離散が続いた。この信徒の離散は、新たな牧師夫妻が赴任した後でもやまなかった。

教団は本来、津村氏にまつわる事件についてきちんと究明し、責任の所在を明らかにすべきであっただけでなく、もちろんのこと、その後、鳴尾信徒の混乱をおさめ、信徒の離散を防ぐために全力を挙げて事態の収拾にあたるべきであった。

ところが、あろうことか、新たな牧師夫妻(山田博・晃美氏)を鳴尾に派遣した後になっても、教団(及び村上+津村サイド)は、後述するように、再び以前と同じ悪夢のような問題を蒸し返して鳴尾を苦しめることを目的としてでもいるかのように、今度は新しい牧師夫妻に対してまでも、異端の嫌疑をかけ、様々な疑惑を提起しては、彼らがあたかも鳴尾の牧会者にふさわしくないかのように主張し始めたのである。

(こうした疑惑の多くは、後述する通り、村上密氏のブログや、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは無関係の杉本徳久氏のブログ「随想 吉祥寺の森から」を通して発表された。)

他方、津村氏は鳴尾を辞任後、村上密氏の牧会する京都教会に引き取られ、そこで何事もなかったかのように奉仕を続けていた。すでに鳴尾からは退いたはずなのに、本心では鳴尾を手放したくないと思い続ける津村氏の呪縛が、まるで亡霊(いや、生霊)のごとく、依然、村上氏と教団を経由して、遠隔操作によって鳴尾に及んでいるかのような不気味な状況であった。

鳴尾はすでに何人もの伝道者を教団側の意味不明な動機によって失い、大きな混乱を経験していたので、今度は新しい牧師夫妻までも、またも訳の分からない嫌疑によって教会から取り上げられて、同じ混乱が繰り返されるのを恐れた。大勢の鳴尾信徒らは、もはや教団から離脱しないことには、このような「津村氏+村上氏による呪縛」は終わらず、ずっと同じことが繰り返されるだけであると判断したのだと思われる。

そこで、鳴尾教会は正式な教会内手続きを経て、信徒の総意によって、教団を離れることを決定した(「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」記事によれば2010年5月27日付で単立教会としてスタート)。しかし、教団側はこの決定を認めようとはせず、あたかもこの単立化は牧師夫妻の扇動によって、教会を乗っ取るために引き起こされた不正な手続きであったかのように主張して、恫喝に等しい裁判をしかけることによって、教団離脱を決めた鳴尾教会と信徒らに対して「報復」し、離脱を阻止しようと試みたのであった。

(これについては以下の記事に記したので参照されたい。教団側はことごとくこれらの争いに敗北した。
カルト被害者救済活動の暴走~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての鳴尾教会への恫喝訴訟とAG信徒による他教会の乗っ取り~
宗務時報No.115 ~日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による鳴尾キリスト福音教会の教団離脱手続きに対する異議申し立て棄却の記録~
文化庁第160回宗教法人審議会議事録 ~日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による鳴尾キリスト福音教会の教団離脱手続きに対する異議申し立て棄却の記録~


6.事件のパターン化 ~「津村氏の呪縛」? 村上サイドから鳴尾教会の牧者に繰り返されている攻撃~

こうしたことを振り返ると、津村氏+村上密サイドすなわち教団側は、鳴尾に赴任して来た伝道師や牧師に対して、次々と、同じような「異端疑惑」や「牧会不備の嫌疑」をかけては、鳴尾教会から牧者を追放しようと繰り返し試みて来たことが分かる。

個々の事件だけを見て行くと、重箱の隅をつついたような論争に陥りがちであるが、こうした一連の事件を合わせてみると、そこには津村氏と村上氏サイドの一種のパターンと化した行動が見えて来る。AB伝道師夫妻と、現在の鳴尾教会の牧師である山田夫妻の鳴尾への赴任は、時期が全く異なるにも関わらず、不思議なほど、両者に対してかけられた教団側(村上サイド)からの嫌疑(言いがかり)は内容が似ているのである。

特に、極めて興味深いのは、村上+津村氏サイドがまずは女性牧者に対して「異端」の濡れ衣を着せようと試みていることである。

AB氏の書簡でも、津村氏が特に女性伝道師であるB氏に対して執拗に異端の言いがかりをつけようとしていたことが分かる。ちなみに、同伝道師が鳴尾を去った後で他教会を牧会する中で、同様の話は一度も持ち上がったことはない。

こうした事実を見るにつけても、B氏に対する「異端疑惑」は、鳴尾から気に入らない牧者を追放する口実として、村上・津村師サイドが持ち出した事実無根の言いがかりであったとしか思えないのである。そして、同じ手法を用いて、村上密サイドは、その後、今度は鳴尾教会の現在の牧師である山田夫妻、特に夫人の牧師山田晃美氏に対して異端疑惑を持ち掛けたのである(村上密氏のブログ記事参照)。

このように、村上サイドがまずは女性伝道者に異端の嫌疑をかけて、次に男性伝道者に対しても言いがかりをつけ、両者を追放しようと試みる手法は、両事件に共通しており、村上+津村氏サイドの常套手段のようにも見える。

そもそも異端の嫌疑というのは大変、深刻な問題であるから、そのような問題を論じるにあたっては、ことを公にして教団内の専門家らの間で公式の会議を行ない、慎重に議論を出すことが不可欠である。そうした公の審議もなされないうちに、津村氏がB氏にしたように、一方的に牧師が牧師を密室で非難し、さらにそれを根拠として人事異動の理由とすることが、いかに常識はずれで理不尽な手続きであるかは、言うまでもない。このような方法で行われた異動は、とてもではないが、正当な手続きとは言えない。

こうしたことからも、異端疑惑は、村上サイドが気に入らない人間を左遷するための口実作りを行なっていたとしか考えられないのである。

村上サイドは山田晃美氏に対して異端の嫌疑をかけた際、これが教団内できちんと議論・検証されるよりも前に、教団とは無関係の個人である杉本徳久氏のブログ「随想 吉祥寺の森から」などを盛んに使って中傷を流布し、事実の裏付けがきちんと取られないうちに、牧師夫妻のイメージを貶めようとした。そして、そのようにまことしやかに流布された「異端の嫌疑」は、教団内で話し合われた結果、裏付けが取れず、全く認められないまま今日に至っている。

(村上密氏が山田晃美氏に対して主張した異端疑惑が教団内でも認められなかった事実については、「鳴尾キリスト福音教会から皆様へ」の記事参照)。


7.「魔女狩り」の背景 ~津村氏と村上氏の男尊女卑と唯我独尊の思想~

このような「魔女狩り」とでもいうべき、女性伝道者に対する村上+津村氏サイドからの執拗な事実無根の言いがかりは、なぜ行われたのだろうか。

津村氏を身近で見て知っている人間として、率直に言えることは、同氏は相当なワンマンな教会運営者であったということである。鳴尾では、古参の男性役員の意見にさえ真摯に耳を傾けることがなく、まして女性の言い分に耳を傾ける習慣はなかった。

津村師の妻も講壇に立つことはなく、常に後ろに退いて同師のサポート役に徹していたことを見ても、戦前の家父長制の色濃く残る時代に生まれた津村氏は、夫のある女性は、妻として母として、夫を立て、男性を支えるために黒子に徹すべきという考えを持っていたのではないかと想像される。

戦争という出来事も手伝って、恵まれた教育を十分に受けているような余裕がなかったのかも知れないが、津村氏は、女性が高い教育を受けて伝道者となり、男性と同じように講壇に立って説教するということ自体に、強い違和感を覚え、自分の地位が脅かされるかのように感じていたのではないかと想像される。

(ちなみに、津村氏の娘である村上恵子氏は牧師資格を持っているはずだが、村上密氏と同じように講壇に立ってメッセージを語り、活躍しているという話を聞いたことがない。やはり、夫よりも後ろにさがってサポート役に徹すべきという考えを持っているためだと思われてならない。それだけでなく、恵子氏については、津村氏同様に、生き生きした感情を極度に抑圧されて無慈悲・冷淡・無感動になっているという印象を常に受けざるを得なかった。このことは私だけが指摘しているのではなく、カルト被害者が述べていることである。そして、この点こそ、村上密氏の活動の正当性に対する疑念を私に抱かせる最初のきっかけになった事実であった。つまり、男性牧師の活動の正しさは、夫人を見れば分かるのだと言える。どんなに牧師が活躍して自己満悦していたとしても、夫人が幸福でなければ何の意味もない。女性の目には女性が本当に幸福に生きているかどうかは決して偽ることはできないのである。ただし、このことについては別稿で触れる。)

改めてAB伝道師の書簡を読むにつけても、津村氏の内心では、女性伝道者の活躍を快く容認できなかったのみならず、自らの後継者と目されていた男性伝道者に対しても、同じように嫉妬深い、敵意に近い感情が生じていたことが見えて来る。

一言で言えば、津村氏はずっと自分だけが鳴尾教会のナンバーワンでい続けたかったのであり、鳴尾を牧会していた間も、鳴尾を去った後も、彼は自らの地位を誰かに譲ることに我慢がならなかったのではないかと思われる。

だからこそ、自らの後継になりうる人物に異端の嫌疑をかけて追放を試み、村上密氏を通して、今日に至るまで、鳴尾教会を取り戻そうと執拗な戦いを続けているのではないか? 

だが、ここまでくると、これは妄執であり、呪縛と言って差し支えない。鳴尾は、津村氏の辞任後も、今に至るまでずっと生霊のような津村氏の呪縛に追われていると言えるかも知れない。 


8.「魔女狩り」の理由その2 ~村上氏は鳴尾をブランチ化したかった?~

さらに、津村氏のみならず、村上氏までが、鳴尾の教団からの離脱の決定に対して、これほど執念のような反発を示しているのはなぜなのかという疑問が生まれる。

これについては、津村氏のみならず、村上氏もまた、津村氏の引退後、鳴尾を自分の手中におさめることを狙っていたのではないかと推測されるのである。

そう考える理由として挙げられるのは、村上密氏が、カルト被害者救済活動を通して、カルト化の疑いがあるプロテスタントのキリスト教会に積極的に裁判等をしかけて教会を取り潰し、信徒を「救済する」という名目で、自分の教会のブランチ化して来た事実があるためである。

このブランチ化という手法を見るならば、ファミリー経営の企業の合併のような感覚で、村上氏が津村氏の引退後、鳴尾教会は当然、自分の教会のブランチになると考えていたとしても不思議ではない。

京都教会と鳴尾教会はそれほど地理的に離れておらず、沖縄の教会をブランチ化するよりも、鳴尾をブランチ化する方が事ははるかに容易である。

だが、鳴尾に村上氏になびかない牧者がいる限り、それは成立しない得ない夢だ。特に、立派な教育を受け、強気でものを言ってくるような「目障りな」女性伝道者などもっての他ということになろう。
 
だからこそ、そういう「小賢しい連中」はあらゆる嫌疑をかけて早々に追放してしまい、鳴尾教会を何が何でも自分の教会に併合したかった、それが村上氏の本音ではあるまいかと推測されてならないのである。いずれにしても、そのような理由でもない限り、裁判で敗北しても、なぜ村上氏が一向にこの教会を諦めようとしないのか、説明がつかないのである。

このことは、これまで村上氏が自らにとって不都合な人物に対して盛んに行って来たネガティブ・キャンペーンの内容を見ても、さらに確信が強まる。

村上密氏のネガキャンの内容は、大体、彼自身の野望を他人にすり替えて転嫁して非難して来ただけに過ぎない。これは杉本徳久氏にもあてはまることであるが、彼らが他人に向けている非難のほぼ全ては、彼ら自身にそのままそっくり当てはまるものなのである。

たとえば、村上氏は、あたかも鳴尾の山田牧師夫妻が鳴尾教会を「乗っ取った」かのように主張していたが、同教会は適正な手続きによって教団から離脱したのであり、そこに「乗っ取り」は全く存在しなかったことが裁判によっても裏付けられている。

そこで、改めて生まれる疑問は、この教会を「乗っ取ろう(=併合しよう、ブランチ化しよう)」としていたのは、むしろ、村上氏自身(+津村氏)の方ではなかったかということである。

自らの野望を隠すためにこそ、同氏はそのような思惑をあたかも他人のものであるかのようにすり替え、自分は正義の味方のように装いながら、あの手この手で牧師の頭越しに鳴尾信徒に接近し、牧師夫妻の悪口を吹き込み、鳴尾教会の意思決定を分裂させては、この教会の教団からの離脱を阻止し、自らの支配下に取り戻そうと試みて来たのではないかと見られる。

おそらくは、早くから鳴尾教会を自らの支配下におさめようという思惑があってこそ、村上密氏は、津村氏の義理の息子という立場を存分に利用して、鳴尾教会の人事に積極的に暗闇で介入を繰り返して来たものと見られる。

いかに津村氏との義理の家族関係があったとしても、鳴尾信徒の頭越しに、密室で、教会人事に介入するなど言語道断である。それは誰の目にも、適正さを欠く、不誠実で信頼できない行動と映るのは明白である。

なぜそのような不透明な介入を村上密氏は当時から行って来たのか。それは鳴尾教会の人事を暗闇で思うがままに動かし、この教会を自分の支配下に掌握するためではなかったのか。鳴尾教会の教団からの離脱を手を尽くして阻止しようとしているのも、同じ理由からではないのか。

つまり、村上氏はどうしても鳴尾教会を自分の支配下に掌握したいのである。そのためにこそ、津村氏を利用して当時からこの教会に対して、あらゆる不当な方法を用いて介入をはかって来たのである。

だからこそ、鳴尾教会はこのような村上氏(+津村氏)の執拗な「魔の手」を逃れるために、教団を離脱して去って行ったのである。


9.本当の「異端者」は誰か? ~自己の無謬性を主張し、自ら神に代わって裁きを行うという異端~

繰り返すが、村上密氏の鳴尾教会に対するネガティブ・キャンペーンは、ただ彼自身の野望を他人に投影し、責任転嫁するものでしかない。だから、彼らが鳴尾の牧者にかけた「異端」疑惑についても、真の「異端者」とは誰なのか、という問題を今一度、よく考えてみる必要がある。

村上密氏は最近でも、「教会のカルト化―神のことばに混ぜ物をして売る危険―」などと題して、盛んにカルト対策セミナーを行なっている。しかし、こうした題名を見るにつけても分かるのは、彼は自分は決して間違わず、正しい見地から物事を主張できると考えて、カルト化の危険をただ他人事として述べているということである。

もし「混ぜ物」をする危険を訴えるならば、本当は、村上氏自身にこそ、誰よりもその危険をかえりみなければならない。なぜなら、村上氏の誤りの多い偏ったブログの文章や、彼が他人に対してまき散らして来た裏づけの取れない中傷こそが、「混ぜ物」に他ならないからである。

村上氏のブログ内容は、人間的な観点だけから見ても、客観性を欠く問題だらけの内容である。自らにとって不都合なことは、たとえ事実であっても書かれてはいない。これを差し置いて、他人だけに向かって御言葉へ「混ぜ物をする危険」など悠長に語っていられる場合ではない。

だが、村上密氏はそのようなことをかえりみることはない。同氏は自分だけは誤りに陥ることなく、他教会のカルト化を取り締まる正義の味方でいられると思い込み、一方的で独善的なものの見方しかできなくなってしまっている。こうした背景には、異端の影響があると思われてならないのである。
 
キリスト教の異端の一つに、地上において人間が完全に聖化するという考えがある。このブログでも再三に渡り、訴えて来たように、すべての異端は、人が自力で神の聖に至ることができるというグノーシス主義であるが、その一環として、地上において信者が完全な聖化に至ることができるとする偽りの思想がある。

聖書によれば、人間は霊・魂・肉体を持っており、神の霊と交わることができるのは、人の霊だけである。従って、どんなに神と霊において親しく交わったとしても、信者が聖別されるのは霊だけであり、堕落した魂と肉体が聖化されるわけではない。

地上にある限り、人間の魂も、肉体も、神から離れており、従って、人が地上で完全に聖化されることはなく、人とキリストとの完全な結合は、復活の時を待たなければならない。従って、地上における信者の歩みとは、絶えず「霊によって体の働きを殺す」という性質を持たねばならず、堕落した体の働きがなくなることはなく、体の贖われる時にならなければ、決してそこから解放されることはなく、完全な歩みには至らないのである。だからこそ、信仰者は絶えずイエスの血潮にすがっていく必要がある。
 
ところが、グノーシス主義に影響を受けた異端は、このような霊・魂・肉体の切り分けを否定して、あたかも人の全てが(魂・肉体も含めて)神を信じれば聖化されるかのような偽りの思想を吹き込む。文鮮明を再臨のキリストとみなし、合同結婚によって信者が「聖家族」に加えられると教える統一教会は言うまでもないが、ペンテコステ系の多くの教えにも、この種の偽りが混入している。

こうして、自分が完全に「聖化」されたかのように偽りを信じてしまった信者は、それ以後、自分を神に等しい絶対者として考えるようになり、己の言動の無謬性を信じた結果、自分の過ちをかえりみることがなくなってしまう。そして、自分のメッセージを神の御言葉と同一視して、信者に絶対服従を求めたり、自分の判断を神の審判と勘違いして、自分に逆らう者をことごとく「悪魔」、「異端者」扱いして追放し、魔女狩りのような「異端審問」を実行して、無実の人々を苦しめたりする。

村上密氏の活動を振り返る時、そこに顕著に表れているのは、同氏が自分を神のように絶対的に正しい存在とみなして、それを根拠に、他人の内心を取り締まり、指導できると思い込んでいることである。もし自分が神と同じほど正義であり、聖であるという確信がなければ、他者の信仰生活に立ち入って、その誤りを批判し、これを実力行使によって排除するために取り締まるなど誰にもできない相談である。
 
異端について警戒を呼びかけたり、危険な教えに逸れている信徒に忠告することは、聖書が禁じておらず、むしろ奨励していることであり、それ自体は何ら咎められる行為ではない。だが、そのためには、聖書の御言葉に照らし合わせて詳細な検証が不可欠であり、それをせずに、誰彼構わず気に入らない人物に異端のレッテルを貼って排除するのでは、単に「魔女狩り」にしかならない。

さらに、独麦は抜かずにおくようにと聖書が教えていることから、たとえ異端者であっても、クリスチャンが裁判等により、これを実力行使で排除することによって生活の場を奪い、いつまでも報復行為によって苦しめ続け、追い詰めるようなことは認められていない。

まして、教会に「異端」の嫌疑をかけ、教会に裁判をしかけて弱体化させることによって、教会を自分の教会に併合したりするような活動は、人の目から見ても「救済」からはほど遠く、何ら聖書に基づくものではない。そもそも牧師が教会を訴えるという行為自体が、村上密氏の登場以前には、プロテスタントのキリスト教界に未だかつて存在したことのない異常現象なのである。

そして、鳴尾の教会人事に資格なしで介入して来たことや、私がここで指摘している「サイバーカルト監視機構」の存在を含め、開かれた公の場での話し合いを通して、物事を解決して行くのではなく、常に自分は矢面に立たず、密室の暗闇で、証拠の残らない形で、他人に影響力を行使し続けて来たこのような人物が、果たして信頼に足るのかどうか、信仰者と言えるのか、何を目的にキリスト教界で活動しているのか、改めて考える必要がある。

こうしたことから、鳴尾教会の牧者に対して次々と「異端」の嫌疑をかけて排除を試みて来た村上密氏であるが、同氏自身は何者なのか、果たして異端者でないと言えるのか、このような人物がクリスチャンと呼ばれるにふさわしいのか、慎重に再考することが必要である。

何よりも疑わしいのは、同氏がプロテスタントのキリスト教界のすべての他の牧師をさしおいて、自分こそが教会のカルト化問題を取り締まる第一人者であると考え、他者の信仰について正しい判断ができると自負していることである。それ自体、極めて異常であり、己を神に等しい絶対者とみなしていなければ、決してできない行動であることに思いを馳せる必要がある。

そのような高慢を信者に生じさせる背景として考えられるのは、いつも決まって 統一教会の教えのように、地上で完全な聖化がありうると教える異端の影響以外にはないのである。

 
<続く>


村上密牧師と杉本徳久氏によるクリスチャンへのいわれなき迫害②

3.付記

 ~村上密氏と杉本徳久氏の主導する「サイバーカルト監視機構」の動向~

3-1.杉本徳久氏のIPアドレス特定の経緯
 
3/22 付記  さわやか読者のアドレスと、無実にも関わらず迫害された鳴尾教会の事件の顛末をきちんと発表してから、当ブログに対するアッセンブリー教団関係者による工作が力を失いました。
 
特に、ソフトバンク工作員集団の中でも、現在までとりわけ熱心だった主犯のこの方。
softbank219215163080.bbtec.net

  

(2016年2月22日現在も何十回となく当ブログへアクセスし、必死にGoogle検索を繰り返す。 検索順位を操作するために、毎日当ブログで熱心に工作を続けて来たが、この頃はなぜか一向に効果が出ない・・・?)
 
他のさわやか読者がみんな散って行った後も、一人最後まで残り続けて毎日のように当ブログへ激しく工作に訪れていましたが、その執念深さから、 おのずと人物は知れてきますよね。

しかも、ネット上にアドレス露出しちゃってるんで、誰の目にも人物は明らか。連絡先は株式会社メディアテラスですって。私への脅迫メールを送って来た方と携帯番号まで一致します。
(今まで同氏から送られて来たすべての脅迫メールは全文PDFで公開の準備があります。
 
 

 5月3日 13:00-15:00  府中市 朝日グランド

種類 個人参加(助っ人)募集
投稿者 FC弥生
種目 サッカー
Lv1 豆級- ~ Lv9 上級+
日時 2015/05/03(日) 府中市 朝日グランド 
募集期限 2015/05/06(水)
場所(地域) 東京 - 府中市 朝日グランド 
コート確保 確保している
詳細・説明 5/3, 5/4, 5/5  個人参加者募集
2015/4/29(水)08:43 - FC弥生  fcyayoi@gmail.com (男) <fcyayoi@gmail.com> - softbank219215163080.bbtec.net 削除
FC弥生です。人生を楽しむためだけにサッカーをしている庶民チームです。
東京都西部を中心に土日祝、活動しています。

 日程はこちら http://d.hatena.ne.jp/fcyayoi

● 5月3日 13:00-15:00  府中市 朝日グランド  
   天然芝、東京外国語大学前 駐車場有り  
   西武多摩川線・多磨駅、京王線・飛田給駅

● 5月4日 祝日 19:00-21:00 下高井戸運動場

● 5月5日(火) 三鷹 大沢総合グランド  朝7:00-09:00 
 

 個人参加者を募集します。
 場所は良いピッチでやりやすく気分良いと思います。
 シニア可 
 ファールが多い人、荒っぽいプレイと気性の人はいません。
 メール: fcyayoi@gmail.com 
 URL    試合日程・結果など http://d.hatena.ne.jp/fcyayoi
 電話   070-5012-7587
作成日時 2015/04/29 08:50:37


 
Yayoi football team、ねえ…。思いきり名前と連絡先も出ておりますゆえ、間違いようがございませんよね。



3月20日 sun 12時30分-4時30分    調布・三菱養和会グランド   ミニ大会 

杉本、小川、木村

弥生浅野クラブ(白)、マスターズ平川(黒)、ボールド吉岡(赤)


チケット販売しています。 2000 yen 送料込み

1800001 武蔵野市吉祥寺北町1-5-14 メディアテラス mediaterrace@gmail.com



 
 さて、このチーム、以下のような理念があるようです。

Team mission statement

 FC弥生のチーム理念は以下の通りです。:

 人生を楽しむためだけに行うサッカーなので、勝つためのサッカーを目指さない。

 暴言や他人の悪口は言わない。特に審判やGKのご奉仕をしている人に対しては文句を言わない。

 怪我をしないことを最優先とする。そのため、ファール禁止。スタッドが相手に接触するプレー、厳しいタックル、後方からのチャージなどは禁じられる。

 基本的にすね当てとストッキングを着用し、スポーツ保険に入る。年間1500円。怪我をしたりしたときの危険、負担は自己責任。

 ポジション割り振りなど世話人の指示に必ず従う。グランド整備、試合準備などの協力を惜しまない。

 電子メールでの連絡を基本とする。

 主権者たる国民として、市民社会の一員に恥じない良識に沿った行動規範を持つ。


主権者たる国民として、市民社会の一員に恥じない良識に沿った行動規範の結果が、見も知らない他人に向かっての 脅迫メールとなって結実するものなのでしょうか・・・!?

付記:さらに、後日、杉本氏ご本人からメールフォームからさらなる脅迫状が送られて来たことにより、以下のIPアドレスが間違いなく本人のものであることが確定しました!!
 
杉本氏からの脅迫メールは、たくさんあるので、随時、公開していきますよ~!!
        
2010年10月5日付   杉本氏が唐沢氏に提訴の報告を求めヴィオロンの記事を罵倒したメール
2010年10月17日付 杉本氏が唐沢氏の提訴予告について進行状況を報告せよと恫喝したメール
2010年11月20日付 杉本徳久氏が唐沢氏の提訴予告について謝罪を要求した恫喝メール
2010年12月8日付   杉本徳久氏がヴィオロン、唐沢氏、山谷少佐に提訴を催促した恫喝メール
2010年12月15日付 杉本氏がヴィオロン、唐沢氏、山谷少佐に記事削除を求めた恫喝メール
2011年12月6日付   杉本氏がヴィオロンの個人情報を特定して恫喝して来たメール
2011年11月28日付   杉本徳久氏が、唐沢氏とヴィオロンに送りつけた恫喝メール
2012年1月1日付    杉本徳久氏がヴィオロンの個人情報を晒すブログ記事を示した恫喝メール
2012年1月22日付 杉本徳久氏がヴィオロンに実力行使に出ると恫喝したメール
2012年3月8日付  杉本徳久氏がヴィオロンに期限を切ってブログ削除を要求した恫喝メール
2012年3月9日付  杉本徳久氏からヴィオロンの返答に対する罵倒と恫喝のメール
2012年3月10日付   杉本徳久氏がヴィオロンに自分を提訴せよと恫喝して来たメール

2016年4月25日付 杉本徳久氏がメールフォームから投稿した恫喝メール
2016年4月30日付 杉本徳久氏がヴィオロンへの提訴をほのめかした恫喝メール
2016年5月2日付   杉本徳久氏がヴィオロンを提訴してやると恫喝したメール



3-2.杉本徳久氏の活動履歴

4月2日 2012年当時に執筆して大きな反響を呼んだ論考 罪と罰 カルト被害者救済活動はなぜ聖書に反しているのか。をホームページに再掲しました。
この論考はまだ完成していないため、随時、加筆して行きますし、鳴尾教会の事件の顛末も、いずれWEBページになります。
 

するとこうした動きを受けてか、再びご本人、登場。またもGoogle検索結果の操作にいそしんでいる様子ですが(Google信者をやめられない模様)、相変わらず頭隠して尻隠さず。

4月5日の杉本氏のアクセス回数はものすごいですよ〜。いつも当ブログの更新がされていない時間を見計らって猛烈アクセス!

同氏の異常なアクセスは記事末尾のさわやか読者の活動履歴に発表しておりますので、ご覧くださいな。    
     
    最近、杉本がこれほど焦りを見せるのも当然、検索結果には何かすごいことが起き始めています。これは鳴尾の事件の真相と村上➕杉本の卑劣なネット工作を事細かに分析して明るみに出した成果です。

彼らの獅子のような咆哮はもう力を失っているのです。この変化はまもなく全体に波及しますよ。真実の持つ力はすごい。全体主義国だって最後は倒れますから。彼らの陰謀工作の結果はほんの一瞬しか持たないのです。
 
 
ブログの検索結果など操作する前に、 罪と罰 カルト被害者救済活動はなぜ聖書に反しているのかと、自分の書いた恫喝メールをちゃんと読みなさい。(と言っても、そんな勇気があるはずもなく、馬と鹿の耳に念仏…。)

4月25日、30日とまた新たに杉本徳久氏から恫喝メールが来ました。ゴールデンウィークにまで他人に恫喝メールを送りつけずにいられないとは何たる哀れ。他者の行楽をひたすら邪魔することしか考えられない、平和で落ち着いた家庭人からは程遠い姿ですね…。

4日も、本ブログが更新されるや否や早速、深夜にアクセス。他人に刑事告訴の予告などしている間に、自分自身が様々な罪状により訴えられることをなぜ考えないのでしょうか。全てに不利な証拠が残りすぎています。ついでにお仲間も一緒に罪に問われることになるかも知れません。そうなると擁護する者もまずなく、今まで一生懸命に作り上げようとして来た弱者の味方というイメージはもはや完全に崩壊しますね。



3-3. 最近の検索順位の劇的変化

さわやか読者はとにかく杉本ブログの順位を上げることに血道をあげているようですが、大変なことになってますよ!

以下では、杉本ブログ、跡形もなし。これが工作されなかった場合の本当の検索結果。この影響はおそらく波及して行くでしょう。

 

それから杉本徳久氏の名前で検索してみると…、これまた大変な状態に。
ルーク氏と坂井氏からの杉本氏の告訴に対する非難で満ち溢れている模様。これでは裁判に勝っても喜びも半減ですね。貴重な金を費やしてネット対策するなら、政敵を貶める工作などより、自分の名誉回復に着手した方が得策だと思うのですが?

   

村上密の検索結果も同様に・・・。

 



3-4. 「頭隠して尻隠さず」のさわやか読者のネット対策

なぜこの人たちは、いつも頭隠して尻隠さずで、他人を貶めることばかりに精魂費やし、自分を守ることをしないのでしょうか? たとえばこれ。

村上密氏の悪質ななりすましサイト
 

 
むろん、こんな悪趣味なサイト、ヴィオロンは作りませんよ(文体とスタイルからその程度のことは誰でも分かるでしょう。)

当ブログに対する日夜の嫌がらせにエネルギーを費やす気力があれば、こういう悪質なりすましサイトにこそ、真っ先に立ち向かい、犯人検挙と削除に追い込むのが筋ではないのでしょうか? 
 
なぜずっと何年間も村上氏はこれを放置しているのでしょう?
何か削除できない特別な事情でもあるのでしょうか?(脅されているとか、自作自演など?)
そういう人に、本気で悪に立ち向かう勇気があると言えるのでしょうか?
 
しかも、神社の油まき事件に際しての村上密氏の記者会見という栄えある舞台にまで
このなりすましサイトがちゃっかり入り込んで削除もされていないという奇怪・・・。

 
しかも、こうした悪質サイトを放置しているのみならず、村上氏は自分の記事で論敵に対決を宣言するどころか、削除を要求しないと宣言、論敵の宣伝をしちゃったりもしてるんですよね…

 
自らのブログ記事で、大幅な紙面を割いて、わざわざ宿敵(?)の鳴尾キリスト福音教会から皆様へのブログを宣伝する村上氏。

ちなみに、本人だけが気づいていない深刻な自己矛盾と独特の論理の破綻は、これまで偽りの運動に欺かれたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信者を含め、悪霊に導かれるクリスチャンにおびただしい回数、観察されてきました。



3-5.行き場を失った日曜祝日工作員たちの悲哀と孤独
   
ゴールデンウイーク中にも妨害活動にいそしむ工作員たち。
(他に行くところもやることもないんでしょうねえ、同情しますよ。)
      
★読者になりすます工作員!!

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5月1日に至るまで、連日、異常なほど猛烈アクセスしてます。
他のさわやか読者と連動していることから、最近の工作の主犯格と思われます。
 

明らかに検索結果の操作が目的の模様。

4月13日に「光の天使の罠」にコメントしてますが、読者に偽装した工作員ですね。

(大体、NONAMEで無内容の一言コメントを投稿するような人は、かなり異常です。きちんと内容を踏まえた感想が書けないからこういう切れ切れの文章になるわけです。文脈を無視してキリスト教用語を呪文のように使うところも、思考が非常にカルトっぽいですね。
工作員は行動だけでなく思考も操られているので、自分の言葉できちんと話せないことが分かります。悪霊の言葉には常に独特の節回しと論理破綻がつきものです。偽装の見本として公開しておきます。) 
それにしても、工作員が自らコメント投稿とは、手が込んでますね!!
 
一説によると、香川県高松市とも。
 


・国際化するさわやか読者たち!?
 
最近はさわやか読者も国際色豊かになっておりますよ~。(むろん、なりすましの可能性も大) 
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言語が中国語ですって。よもやキリスト教徒とも思えませんが、どこまで無関係な人間を工作者として使っているんでしょうね?

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こちらも台湾ということになっていますよ。

 

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 在オーストラリアの杉本読者ってことですかね(ほんとかしらね~) 
  
 
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さわやか読者もいよいよ国際化の時代ですかね!
アメリカ合衆国、オレゴンもしくはニュージャージー州らしいですよ。



   ・企業、学校法人からも・・・
 
 gw.newdaysys.co.jp
常に昼休憩中にネットを覗き見している株式会社Newデイシス。
〒420-0857 静岡県静岡市葵区御幸町4-1アーバンネット静岡ビル5F
どんな会社か調べてみました!

 
 
34.78.149.210.bf.2iij.net
奈良県東生駒にある学校法人帝塚山学園のアドレス。
検索結果の操作のための集中アクセスあり。学校からこんなことやっていて良いのでしょうか。




 
ホームページをのぞいてみると、モットーは「絆」だとか…
(やれやれ。見るからにヒューマニズム色満載ですね。)
 



・その他の日曜祝日工作員たちの活動履歴
   
以下の人々も、あんまりしつこいんで、出所をちょっくら地図で調べてみましたよ~。
p1305171-ipngn201005fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp

〒839-086 福岡県久留米市
  Googleマップだと、灰塚鮮魚店が表示されるんですよね!
(場合によっては、家まで見れちゃうかも!!)



119-231-143-81f1.shg1.eonet.ne.jp
 

〒529-115 滋賀県彦根市
 丸源ラーメン彦根店のすぐそば。



softbank126091188212.bbtec.net

〒800-031 福岡県苅田市
 ディスカウントドラッグコスモス苅田店すぐ。

 

pw126210050044.5.kyb.panda-world.ne.jp

神奈川県伊勢原市 
県道63号線 中木津根交差点からほど近く(ど田舎っぽいな~)
この人もどうやら匿名掲示板の常連の模様。(IP:126.210.50.44) 
全然部外者ですね…。



p15058-ipngnfx01oomichi.oita.ocn.ne.jp
古参の杉本読者に見たようなアドレスですね~。でも、調べてみたら、これも匿名掲示板の常連で、全然信者とは無関係のようですねえ。匿名掲示板で餌食にされた人をずっと追跡しては嫌がらせを続けている人々の仲間なんでしょうねえ。

一説によると、高知県高知市、でも匿名掲示板では、自分で大分県民と名乗っておりますよ。
多分そっちがほんとでしょうね。



 

s730098.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp 
こちらも古参杉本読者と思われます。検索結果操作型。
  
 
埼玉県川口市、ラディラ川口すぐ。

 
 
softbank126066224032.bbtec.net
検索結果操作型。千葉県松戸市、もしくは千葉市。
匿名掲示板の常連のようですよ。信者じゃございませんね。



 janis220254148016.janis.or.jp

こちらも検索結果操作型。
一説では長野県長野市 日産プリンス長野が表示される。

もしくは以下の説も・・・
 

kd182251240051.au-net.ne.jp
随分、熱心な杉本読者のようですねえ。弱者つながりでしょうか?
 
 
地図の場所だと、グループホームふたつみやとなりますね。



   
以下は、お友達工作員でしょうかね~。ともにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団関係の
記事に関心があるようです。

fl1-203-136-35-186.tky.mesh.ad.jp
p189194-ipngn200404niho.hiroshima.ocn.ne.jp


上は、カルト被害者救済活動の暴走~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による魔女狩りとしての鳴尾教会への恫喝訴訟とAG信徒による他教会の乗っ取り~の記事にリンク

下は、検索用語が「杉本徳久」(相変わらずbiglobeユーザーの模様) 
 
 
softbank126014189181.bbtec.net
Google検索操作に加え、おびただしい回数の集中アクセス!

北海道札幌市、もしくは、秋田県湯沢市

 

p4216-ipbf207koufu.yamanashi.ocn.ne.jp
久々にお説教検索型が来ました。
    

前後の文脈もなく聖書の一節だけ切り取るのは、カルト的思考を思わせますね。

以下の地図では南アルプス市下宮地と…


  



 その他、4月中旬~4月30日当たりのさわやか工作員
 
kd182249241004.au-net.ne.jp
「ジョン・ビビア」で検索を繰り返す。
 

softbank126094108046.bbtec.net
 

oscfx-04p11-15.ppp11.odn.ad.jp


大阪府大阪市

42-148-192-135.rev.home.ne.jp

東京都練馬区

zaqb4dc441d.zaq.ne.jp
59-166-234-47.rev.home.ne.jp
 softbank126066224032.bbtec.net
千葉県松戸市
i121-117-76-254.s41.a013.ap.plala.or.jp
東京都立川市
om126229049194.12.openmobile.ne.jp
g88.115-65-186.ppp.wakwak.ne.jp
fs76eee8a5.tkyc210.ap.nuro.jp
p022.net042126243.tokai.or.jp
〒431-030 静岡県湖西市
 
     



  4月3日
日曜ごとに、杉本氏の嫌がらせ記事を上位にランキングさせるべく当ブログには検索結果の操作のための雇われ工作員がやって来るのが恒例の風景となりました。
しかし、彼らの工作もだんだん効果がなくなって来た模様。

 

桜も満開となり、人々は行楽に出かけ、家族サービスにいそしむ日曜の快適な午後に、行くあてもなく、密室に閉じこもってネットの前に座り、幸福そうなクリスチャンに八つ当たりして、害を与える以外に従事する活動もないというのは、本当に惨めかつ哀れな境遇を思わせますね・・・。

教会を訴えることを生業としたために、礼拝に出ることもかなわず、行き場を失って浮遊する(自称)信者にとって、日曜は、特別に孤独で居たたまれない惨めな日となったものと思われます。そのやり場のない孤独を、毎週、どこかの信者にぶつけ続けているのでしょう。

今日は特に朝から晩まで熱心なのは、この方・・・。
杉本氏に不利な情報が気になって気になって仕方ないようです。

kd118156078055.au-net.ne.jp
   
  どこから来たのか見てみました。かなり精密な地図ですね~。 
 

下馬五丁目交差点(ハイソな住宅街が並ぶ…)


ちなみに、次の杉本読者も同じアクセスポイントが表示されてますね。
p2284113-ipngn17701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
東京都目黒区


 


 
その他の日曜工作員

softbank126017039141.bbtec.net
↑大阪
pl2247.nas816-3.miyazaki.nttpc.ne.jp
p17066-ipngn1101koufu.yamanashi.ocn.ne.jp
224.77.131.180.ap.yournet.ne.jp
p53050-ipngn200301kanazawa.ishikawa.ocn.ne.jp
↑石川県能見市  


  


gw.newdaysys.co.jp
今日も来てますね、株式会社Newデイシス。やはり杉本らと連動しており、まるで彼らの委託先のネット工作会社のような悪印象を与えておりますね・・・。

以下の人々は杉本信者の最後の生き残りといったところでしょうか・・・?
 
softbank126235131246.bbtec.net
softbank219054243174.bbtec.net
↑〒500-817 岐阜県岐阜市
kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
↑〒602-805 京都府京都市
kd111237166222.au-net.ne.jp
↑ 〒446-003 愛知県安城市
p2102061-ipngn200608osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
↑広島県呉市
pw126152099231.10.panda-world.ne.jp
↑栃木県小山市
mdapp017.mitsui.co.jp
 
  


  
4月6日
今朝はスギモのパシリ信者がいよいよ一人になりましたよ~。
softbank219215163080.bbtec.net

67.208.13.160.dy.iij4u.or.jp
〒340-081埼玉県八潮市

誰から工作を請け負っているのか明らかな構図ですね~。
下の方は何十回となく猛烈アクセスを繰り返し、犯罪履歴を残す。日中の時間帯にこんな不毛なことに全精力を費やせる人とは、無職なのでしょうか~?人生の悲哀を感じますね~。

   

 


4月6日、さわやか読者にとって極めて不都合な鳴尾文書を全世界に向けて公開しました。
愛の注釈もございますので、目を皿にしてよく読んでね!
教団文書 村上密牧師と津村牧師による鳴尾教会人事の私物化問題ダウンロード
  
   
p3134-ipbfp2402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
↑鳴尾教会の記事に関する工作者


Googleの怪

杉本氏がGmailを愛用し、Google検索結果を最も操作することを願っている熱心なGoogle信者であるところを見ても、何だかGoogleには一種の薄気味悪さを覚えずにいられないのですが。

ちなみに、当ブログへの訪問回数が相当に多い一つが、Googleのクローラーです。
他のどんな検索エンジンよりも素早く深夜でも早朝でも更新されるとすぐに巡回します。
 
新情報の取り込みに熱心なのはいいですが、何かしらそれにとどまらぬ不気味な思惑が感じられてならないことが多いのですが…。

たとえば、これ。
検索用語が入っている。「預言カフェ 成就しなかった」と。
どう見てもキリスト教の旬の(?)話題に関心があってやって来る興味本位のウォッチャーのようにしか見えないのですが…?

背後にいる人間の思惑が感じられる機械怪奇現象ですねえ。
crawl-66-249-82-74.googlebot.com
 
 




さて、以下の二人は主犯格です。
今日に至るまで検索結果を操作し集団的な嫌がらせを煽って来た人物です。過去ログは保存してあり、賠償請求が発生することも十分に考えられます。ご注意下さい。
150-70-173-7.trendmicro.com
kd182249247165.au-net.ne.jp

kd182249241070.au-net.ne.jp 

以下は、現在まで活動中の方々です。

116.net220148228.t-com.ne.jp
↑埼玉県八潮市
softbank219215163080.bbtec.net 
 
kd182251240012.au-net.ne.jp
検索用語が「へりくだって生きる」ですって!! いや、実にあなた様は奇特な方ですね!! 昨今、そのような目標を唱える人々はこの世から消え失せかけておりますので、あなた様は貴重な期待の星です。キリスト教の教職者でしょうか?
…まずはご自分の人生でとことん実験なさった上、来るべき世でぜひともその成果を皆さまにご報告下さいませね。人類の模範としての成果を楽しみにしております。
(自分が本当にへりくだって生きている人々は、このような検索用語を基に他人のブログに到達しない。高慢だからそうするのである。キリスト教界の信者と教職者にはこのようなタイプが実に多い。)

どうしても杉本氏関連の記事が気になって仕方がないらしいこの会社。
位置情報検索会社の株式会社Newデイシスからのアクセス。
gw.newdaysys.co.jp
 休憩時間中に私用でネットなんか使って当ブログを読んでいたら
クビになるのではありませんか、会社の評判落ちますよ?
それとも、工作でも委託されて請け負っているんですかね?
一千件のコメントを伴う杉本氏のバッシング記事も、委託された工作であり、
仕組まれた自作自演だった可能性があると私は見ているのですが、
おたくと何か関係ありますかね?

 


softbank126220001175.bbtec.net
↑愛知県
113x40x2x69.ap113.ftth.ucom.ne.jp
42-150-232-64.rev.home.ne.jp
nttkyo740115.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
上の二人は仲間です。特に下の方はKFCのことになると必ず激しく反応してしゃしゃり出て来ますので、身元が知れますね。
ac246138.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
↑岩手県盛岡市・北上市
202-229-49-219.ap-p27.canvas.ne.jp
↑大阪府東大阪市
wmx2-pvt-155-130-255-123.kualnet.jp
↑山口県宇部市
p29208-ipngnfx01marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp


s668237.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑北海道北見市との説有。
この人もアドレス露出してますが?他にも相当何か所もあるようです。まずクリスチャンではあり得ない。なるほどカルト弱者救済活動はこういう背景の人たちを積極的に取り込むんですね…
 
i118-20-76-49.s42.a013.ap.plala.or.jp
113x40x2x69.ap113.ftth.ucom.ne.jp
ac246138.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
↑岩手県盛岡市・北上市
 202-229-49-219.ap-p27.canvas.ne.jp
↑大阪府東大阪市
wmx2-pvt-155-130-255-123.kualnet.jp
↑山口県宇部市
p7238-adsao12honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp
↑神奈川県相模原市 相模原の集会でしょうか。
p29208-ipngnfx01marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
↑2ch掲示板の常連です
p10046-adsao01tenjmi-acca.fukuoka.ocn.ne.jp
↑福岡県福岡市
p2128-ipbfp603oomichi.oita.ocn.ne.jp
↑大分県
p8217-ipad01okidate.aomori.ocn.ne.jp
↑青森県
pw126255208213.9.panda-world.ne.jp
↑神奈川県横須賀市 緯度35.25 経度139.667 
pw126236133246.12.panda-world.ne.jp
↑群馬だそう。緯度36.3 経度139.367 
182-165-138-86f1.osk2.eonet.ne.jp
↑大阪府堺市
125-14-226-199.rev.home.ne.jp
↑東京都町田市
068018014222.ppp-oct.au-hikari.ne.jp
↑沖縄県那覇市
202.34.15.62
↑京都八幡 〒614-834
211.9.36.33
↑東京都豊島区
p352208-ipngn200206takamatu.kagawa.ocn.ne.jp
↑京都府京都市

211.44.29.130(←韓国から)
 

202-127-177-016.users.bc9.ne.jp 
 
 
kd059138166172.au-net.ne.jp
kd036012077069.au-net.ne.jpp
101-140-19-149f1.osk3.eonet.ne.jpp
ntchba019109.chba.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
 
p345056-ipngn502aobadori.miyagi.ocn.ne.jp
神の代理人として教会に裁判をしかける恐るべき罪を自らこそが悔い改めるべきでは?キリストの花嫁なるエクレシアを訴えて無傷で済んだ者はない。神ご自身が報復されますから…。

i125-203-100-251.s41.a013.ap.plala.or.jp
kd119104069207.au-net.ne.jp
p3134-ipbfp2402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
fp76f178f3.tkyc002.ap.nuro.jp 

p448153-ipngn5701funabasi.chiba.ocn.ne.jp
飢えた者がパンに殺到することこそ大審問官の狙いです。あなたが見えない天のパンによって生きる方法を知らない限り、石をパンに変える奇跡の指導者に何度でも欺かれることでしょう。

180-199-139-145.nagoya1.commufa.jp
もし御霊が宿っているならば・・・ですよね。もし宿っているのが悪霊ならば、その法則性はあなたに通用しないです。(ピリピ2:1-30)「罪の報酬は死である」(ローマ6:34)ですからね。

i125-203-100-251.s41.a013.ap.plala.or.jp
kd119104069207.au-net.ne.jp
kd114019080055.ppp-bb.dion.ne.jp
p3134-ipbfp2402osakakita.osaka.ocn.ne.jp
ai126173232015.46.access-internet.ne.jp 
  
 ソフトバンク工作員集団 
softbank220007062180.bbtec.net
softbank126057215049.bbtec.net
softbank126015096033.bbtec.net 
softbank221077139132.bbtec.net
softbank126065009076.bbtec.net 
softbank126057103249.bbtec.net 



 さわやか読者の活動履歴
        
サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)②(5月23日版)

サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)➀(5月14日版)
        
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(後編)
 
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(中編)
 
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(前編)

優良さわやか読者賞(続)2月22日改定版

優良さわやか読者特別賞 2月10日改定版


 


村上密牧師と杉本徳久氏によるクリスチャンへのいわれなき迫害➀

「サイバーカルト監視機構」とは何か。
~アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師とその支持者らが
カルト対策を口実にクリスチャンへの迫害に及ぶ手法~




1-1.村上密氏と杉本徳久氏がネットの暗闇で繰り広げるサイバー犯罪
1-2.政敵を貶める人物破壊工作を目的にブログ記事を掲載し、都合が悪くなると記事を書き変える杉本徳久氏
1-3.情報統制のために検索結果を操作する杉本徳久氏が日夜いそしむ逆SEO
1-4.不都合なブロガーに暗闇で脅迫状を送り付けてはブログ閉鎖に追い込もうとする杉本徳久氏
1-5.村上密氏と杉本徳久氏の活動はクリスチャンからの支持をすでに失っている
1-6.教団と無関係な個人のブログやサイバー犯罪を利用して情報統制を行ない、権力掌握に努めてきた村上密氏
1-7.村上密氏が杉本徳久氏に指示して掲載させたと見られる鳴尾教会に対する誹謗記事
1-8.杉本徳久氏のブログ以外に根拠を持たない村上密氏の主張
1-9.ネット専門の工作員を動員して政敵を貶める村上密氏と杉本徳久氏
1-10.「あざける者ども」や「兄弟たちの告白者」を彷彿とさせる村上密氏と杉本徳久氏の活動
1-11.「闇は光に打ち勝たなかった」 「公然」は「密」の反意語 真実を提示することにより嘘を暴く
1-12.嘘に満ちた村上密氏と杉本徳久氏の活動は、聖霊から来るものではない
1-13.十字架に敵対する者たちの最期は滅びである

2.さわやか読者の活動履歴



 


1.暗闇で非合法に活動するサイバーカルト監視機構

1-1.村上密氏と杉本徳久氏がネット工作員を利用して暗闇で繰り広げるサイバー犯罪

 
プロテスタントのアッセンブリーズ•オブ•ゴッド教団は、教会のカルト化を防ぐことを口実として、カルト被害者救済活動を行って来ました。しかし、2009年頃から、私は聖書に基づかないこの活動の危険性に気づき、この活動は必ず暴走すると、記事「『カルト監視機構』という名の秘密警察の設立について」等で危険性を具体的に訴えて来ました

こうしたことを指摘して後、同教団や上記の活動の関係者からこのブログに対して、今日に至るまで予想を超える嫌がらせや工作が行われて来ました。その最たる事件は、ご承知の通り、彼らが仲間のブログ「随想 吉祥寺の森から」(以下参照)において、当ブログを一千件のコメントと共にバッシングしたことです。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師は、かつてカルト化教会を取り締まるという名目で、クリスチャンだけでなく、非クリスチャンの有識者も加えた「カルト監視機構」の設立を訴えていました。しかし、反対が大きく、この機構の設立を断念せざるを得ませんでしたが、代わりにインターネット版「サイバーカルト監視機構」と呼ぶにふさわしい暗闇のネットワークを構築し、彼らの活動を批判する者たちに対する容赦のない制裁を加え続けているのだと見られます。

むろん、そのような機構は非公認かつ非合法なものであり、個人の(自称)クリスチャン・ブロガーなどが集まって、反対者を吊し上げるための秘密結社のような暗闇の犯罪集団を作っているにすぎません。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、きちんとした公の手続きに則って、教団ホームページなどを利用して、反対者に対する弁明を行うことが出来たのに、そうすることなく、むしろ、教団と全く関係のない個人によるブログ「随想 吉祥寺の森から」などを含め、その多くは匿名の個人から成るネット上の暗闇の犯罪組織・私刑集団を積極的に活用して、教団にとって不都合な人物に対するネガティブ・キャンペーンを展開し、ネット上の言論統制を行なって来ました。

彼らは独自のネットワークを駆使しては、自分たちの活動に不都合な情報を掲載するブロガーに対して水面下で妨害工作を繰り返し、恫喝メールを大量に送りつけてはブログを閉鎖に追い込んだり、検索結果から気に入らない情報を駆逐するための工作を行ない、ターゲットとみなした人間に対する捏造された悪評を広めるために日夜工作を行っています。


1-2.政敵を貶める人物破壊工作を目的にブログ記事を掲載し、都合が悪くなると記事を書き変える杉本徳久氏
 
(付記:たとえば、杉本徳久氏が2009年末に執筆した記事「東洋からの風の便り ヴィオロン」は、当時一千件のコメントがついて杉本氏のブログの炎上に至るきっかけとなった記事であるが、その題名から見ても、この記事は、故意に他者のブログと同じ標題をつけて、標的とみなしたブログに対する悪意ある内容を掲載し、悪意ある情報を意図的に検索結果に表示させることによって、他者のブログの印象を貶めて操作することを目的として書かれたことが明白である。

杉本氏の多くの記事は、このように、初めから同氏が政敵とみなした人物のブログやサイトの評判を貶め、特に検索結果を意図的に操作して歪めることを主たる目的に書かれている。


上記の記事は、よほど多くの批判を浴びたのであろう、その後、杉本氏によって大幅に内容が書き変えられ、題名も、「ウォッチマン・ニー」と変えられたが、それはただ単に世間で批判が高まったので、同氏が記事を別のアドレスに移し変えただけである。

さらに、この記事の標題とされているウォッチマン・ニーについても、杉本氏は本文で何らきちんとした分析を行なえていない。杉本氏がウォッチマン・ニーの思想の内容に踏み込んだ具体的な議論を全く記事で行うことができていない様子を見ても、この無内容の空疎な記事が、批評を目的としたものではなく、単に当ブログに対する嫌がらせとして未だ掲載され続けているだけであることは明白である。



(注:当ブログをバッシングすることだけを目的に
 杉本徳久氏が作成した「悪意に溢れるダミー記事」
当ブログの標題と内容を無断で大量に剽窃し、
当ブログ管理人を貶める悪意ある情報を掲載した。

後に世間の非難が殺到し、都合が悪くなったと見え、
杉本氏はこっそり記事内容を書き変え、剽窃部分を削除するも、
 元記事はただ別のアドレス(以下)に移し変えただけである。

2009年12月28日と 2013年6月23日のバージョンでは、
大幅に内容が書き換えられている様子が確認できる。)


 
変更前の元記事はこっそり別ブログの記事に移し変えている。
 ただし、名誉棄損で犯罪が立件しては困るためか
現在はPC版ではプライベートモードで非表示にしている模様。

 


  1-3.情報統制のために検索結果を操作する杉本徳久氏が日夜いそしむ逆SEO

上記の記事の他にも、当ブログを標的として杉本氏の手で書かれたバッシング記事やコメントは枚挙に暇がないほど多数あり、その多くにおいて、同氏は当ブログ執筆者を根拠なく誹謗しているのみならず、当ブログの標題やアドレス、記事内容を大量に無断で掲載している。

このことを見ると、杉本氏がただ単に無断転載の常習犯であるだけでなく、他者のブログの検索結果を意図に操作することを目的として、故意に他者の書いた内容を大量に引用しては、ダミーとして自らのブログに取り込んでいる様子がよく分かる。
 
こうした方法は逆SEOとして知られ、たとえばライバル企業のサイトの検索順位を下げたり、評判を貶めて営業活動を妨害し、利益を低下させたりする目的で使われる悪質で犯罪的な妨害工作である。

杉本氏は上記のような嫌がらせ目的のスパム記事をブログに掲載する他にも、以下のさわやか読者の活動履歴
に示しているように、ライバルとみなしたサイトを毎日のように訪れては、短い時間で数十回を超えるような異常でしつこいアクセスを繰り返すことによって、標的と定めたサイトの検索順位を下落させようと日夜工作を繰り返している。このデータを見れば、彼がどれほどの執念の持ち主であるかがよく分かるだろう。
 
  
1-4.不都合なブロガーに暗闇で脅迫状を送り付けてはブログ閉鎖に追い込もうとする杉本徳久氏

さらに、これにとどまらず、杉本氏は以下にも示す通り、おびただしい回数、当ブログ管理人に脅迫メールを送りつけては、同氏にとって都合の悪い記事を削除するよう、一方的な要求を繰り返して来た。また、これがかなわない場合には、匿名掲示板等で当ブログ管理人の個人情報を無断で公開するなどと脅迫し、実際に大量の嫌がらせ投稿を行なったと見られる。こうしたことはすべて悪質な犯罪である。

杉本徳久氏が私に宛てて書き送った恫喝メールは多数存在するため、前後についての詳しい注釈を付した上で一つ一つ全文公開して行く。まずは次のものから。

2010年10月5日付   杉本氏が唐沢氏に提訴の報告を求めヴィオロンの記事を罵倒したメール
2010年10月17日付 杉本氏が唐沢氏の提訴予告について進行状況を報告せよと恫喝したメール
2010年11月20日付 杉本徳久氏が唐沢氏の提訴予告について謝罪を要求した恫喝メール
2010年12月8日付   杉本徳久氏がヴィオロン、唐沢氏、山谷少佐に提訴を催促した恫喝メール
2010年12月15日付 杉本氏がヴィオロン、唐沢氏、山谷少佐に記事削除を求めた恫喝メール
2011年12月6日付   杉本氏がヴィオロンの個人情報を特定して恫喝して来たメール
2011年11月28日付   杉本徳久氏が、唐沢氏とヴィオロンに送りつけた恫喝メール
2012年1月1日付    杉本徳久氏がヴィオロンの個人情報を晒すブログ記事を示した恫喝メール
2012年1月22日付 杉本徳久氏がヴィオロンに実力行使に出ると恫喝したメール
2012年3月8日付  杉本徳久氏がヴィオロンに期限を切ってブログ削除を要求した恫喝メール
2012年3月9日付  杉本徳久氏からヴィオロンの返答に対する罵倒と恫喝のメール
2012年3月10日付   杉本徳久氏がヴィオロンに自分を提訴せよと恫喝して来たメール

2016年4月25日付 杉本徳久氏がメールフォームから投稿した恫喝メール
2016年4月30日付 杉本徳久氏がヴィオロンへの提訴をほのめかした恫喝メール
2016年5月2日付   杉本徳久氏がヴィオロンを提訴してやると恫喝したメール
     
          
1-5.村上密氏と杉本徳久氏の活動はクリスチャンからの支持をすでに失っている
  
杉本徳久氏のこうした不法かつ行き過ぎた異常な活動に関しては、2012年にその反聖書的意義を分析し、WEBページにまとめた。「  罪と罰 カルト被害者救済活動はなぜ聖書に反するのか。」この論考は当時、多大な反響を呼んだ。
  
杉本氏にとってはこのWEBページが特に気に入らなかった様子で、脅迫メールを大量に送りつけたり、嫌がらせコメントを大量投稿するなどの方法で、当ブログやWEBページを閉鎖に追い込もうと試みた。

だが、いずれにしても、杉本氏が暗闇で行っている工作や脅迫は、あまりにも幼稚で根拠のないものであり、いつまでも功を奏するものではない。最初は杉本氏に賛同していた人々もいるにはいたが、同氏が述べている主張がことごとく嘘であることが暴露され、また、同氏の用いている手法が極めて陰険で悪質な犯罪的なものであることが判明するに伴い、杉本氏の常軌を逸した人柄を知って、必然的に、支持者も激減して行った。

今となっては、さわやか読者はほんの数えるほどしか存在しない。おそらくは、当時はたくさんいたように見えた人々も、そのほとんどは雇われ工作員に過ぎなかったものと見られる。杉本氏がバッシング記事に掲載したコメントも、同様に、サクラであった可能性が極めて高い。

真にクリスチャンであれば、すべてのことについて公に議論が可能なはずだが、彼ら(ほとんどのコメント者)が決して公の場所に出て来ようとしない様子を見ても、おそらく、さわやか読者の多くが、もともとクリスチャンではないネット専門の工作員であり、キリスト教に関して議論に耐えうる知識が全くなく、下手に議論になって身元が判明することを恐れて陰に引っ込んでいると考えられる。)


1-6.教団と無関係な個人のブログやサイバー犯罪を利用して情報統制を行ない、権力掌握に努めてきた村上密氏

   
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、公には上記のようなネットを利用した犯罪的な活動と無関係を装っていますが、あらゆる角度から見て、村上密牧師が、杉本徳久氏のようなブロガーやコメント者らを積極的に利用しては、自分に都合の良い捏造された情報を流布し、自らにとって不都合な人物の評判を貶め、ネット上の情報を操作して言論統制を行ない、不都合な情報を掲載するブログを閉鎖に追い込み、クリスチャン同士の分裂・対立・憎み合いを助長して、それを奇貨として、教団内、ひいてはプロテスタント教界全体の権力の掌握につとめて来たことは明らかです。


1-7.村上密氏が杉本徳久氏に指示して掲載させたと見られる鳴尾教会に対する誹謗記事


(たとえば、村上密氏と杉本徳久氏は、当ブログのみならず、鳴尾教会の後任の山田博・晃美牧師夫妻に対しても、同様に、事実無根の誹謗中傷の記事をいくつも掲載しては、名誉を貶め、人物破壊工作を続けて来たことはよく知られている。


一例を挙げれば、杉本徳久氏のブログ記事「道を外れたならば」には、教団内の議論によっても全く裏付けの取れなかった山田夫妻への異端疑惑がまことしやかに事実であるかのように記されている。

しかし、鳴尾教会の関係者には、一見しただけで、この記事がきちんとした下調べもなしに、一方的な思い込みだけによって書かれたものであり、しかも、無実の他人について「悪人」のイメージを捏造し、他者の印象を貶めるために書かれた虚偽の内容であることがすぐに分かる。


そもそも、この記事には一文たりとも、きちんと事実関係を確認した上で、証拠を挙げて書かれた文章がない。それだけを見ても、いかに信憑性に欠ける記事であるかはすぐに分かるが、こうした捏造記事の悪質さは、ざっとピックアップしただけでも次のようになる。

鳴尾教会に関しては、今になっても、こうした事実に反する偏った情報にいつまでも固執して、これを真実であるかのように声高に叫んでいる人物が、(津村氏と)村上密の他には見当たらないという事実を見ても、杉本徳久氏の執筆したこの記事が、村上密氏、すなわちアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の意向を強く受けて書かれたことは明白である。

 



以上は、鳴尾の牧師夫妻の人柄について「異端者」や「悪役」としてのイメージを捏造し、
人物破壊工作を行う目的で「随想 吉祥寺の森から」のブログに杉本氏が掲載した誹謗記事。
 いかに論理の飛躍が多く、不確かな情報ばかりが掲載されているかよく分かる。



1-8.杉本徳久氏のブログ以外に根拠を持たない村上密氏の主張


このように杉本徳久氏が事実に反して特定のクリスチャンの評判を貶めるために掲載したブログ記事内容が、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と村上密氏の強い意向を受けて執筆されたものであることは、ただ記事内容から推察されるだけでなく、村上密氏自身のブログ記事によっても明白にされている。
 
村上氏はブログ記事「除名に相当する解任」を受けた山田博・晃美夫妻のその後 」の中で、鳴尾教会の後任の山田博・晃美牧師夫妻が、教団から「除名に相当する解任」を受けたと得意満面に発表し、夫妻の人格を貶め、彼らに対して勝ち誇ろうとしているが、村上氏がここで自らの主張を裏付ける根拠として挙げているのは、教団とは無関係の個人である杉本ブログしかない。

ちなみに、除名に相当する解任、という言葉から察するに、これは形式上は、単なる解任であって、どうやら、除名ではないようである。村上氏は「除名」に追い込みかったのであろうが、結局、除名にまでは至らなかったことが分かる。
 
つまり、村上氏からかねてより山田夫妻に対してでっちあげて主張して来た異端疑惑には、何の裏付けも取れなかったので、教団側も、彼らを除名することができなかったものと見られる。

こうした村上氏の記事内容から分かるのは、村上氏が自らの政敵を貶める目的で、予め自分にとって都合の良い、偏って捏造された情報を杉本氏サイドに提供し、杉本氏にあたかも自分の代理人のようにそれを発表させた上、後から杉本氏の記事を引用して、自らの記事の主張の裏づけにしようとしている点である。

このことは、村上・杉本両氏が仲間であり、秘密裏に結託して情報をやり取りしていること、また、彼らがタグを組んで繰り広げて来たカルト対策活動が、完全な出来レースであることをよく示している。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは無関係の杉本氏が、こうした情報を自らの一存だけでは手に入れることができないことは明白であり、さらに、こうした情報を提供することによって利益を受ける存在も、村上密氏以外にはいないことは明白である。


さらに、もっと言えば、このことは、村上密氏には、自分の主張を裏付けるために、教団とは何の関係もない私人のブログを引用する他に、もう手段が残されていないことを示している。

村上氏が杉本ブログ以外のソースを何も提供できていない事実から察するに、村上氏の活動がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中で、他の牧師たちから本当に支持を得ているのかどうかも疑わしい。


もし村上氏がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団内で相当の支持を受けているならば、同氏は自分の主張の裏づけとして、きちんとした教団の正式な文書や、他の牧師の言説を引用して発表することができていたはずである。教団と無関係の私人のブログしか、根拠として挙げるものもないという嘆かわしい事態には陥っていなかったであろう。

ところが、同氏が牧師でありながら、一信徒の、しかも自分の教会とも教団とも無関係の私人のブログを引用して自分の主張の裏づけとするしかない様子は、教団外だけでなく、教団内でも、同氏の相当な孤立無援状態を伺わせるものである。

 

村上密Blog記事「除名に相当する解任」を受けた山田博・晃美夫妻のその後 」には、同氏が自分の主張を援護する主張として、杉本ブログ以外に引用できるソースを持たない様子がよく分かる。 これは村上氏の教団内外での孤立状態を如実に物語っているように見える。


1-9.ネット専門の工作員を動員して政敵を貶める村上密氏と杉本徳久氏

さらに、当ブログに対する嫌がらせとして投稿されたコメントの内容等を見ても分かるのは、村上密氏と杉本徳久氏は、ネット上で政敵を貶めるために、おそらくはネット対策専門の会社に委託して金で工作員を雇い、積極的に利用して来たということである。

たとえば、当ブログに対する嫌がらせとして匿名掲示板に大量投稿されたコメントは、その内容から判断するに、杉本徳久氏か村上密氏が自ら書き込んだか、もしくは彼らが結託して雇った工作員の仕業であるとしか考えられず、およそクリスチャンが行った投稿とは考えられない。


なぜなら、そのコメント内容には、すでにネット上に出回っている既知の情報の大量の拙いコピペしかなく、いかなる新情報も提示されていない上、何の思想的裏づけもなく、個人的特徴も見られないためである。従って、これを書き込んだ人間が、提示された情報をコピペする能力しか持たず、教会やクリスチャンの事情を全く知らず、教義さえ知らない第三者であって、クリスチャンでないことは明白なのである。

そこから推測できるのは、こうした大量の嫌がらせコメントを拡散する目的で、村上氏と杉本氏が、ネット専門の対策会社に金を払って工作員を雇い、彼らに一定量の嫌がらせコメント投稿を委託したという事実である。つまり、工作員が彼らの指示した内容をコピペして大量投稿したということである。

こうした事実を見るならば、おそらく、杉本氏が当ブログに対して掲載した一千件のコメントを伴うバッシング記事も、大量の工作員を動員して仕組まれた自作自演劇であり、彼らが今日に至るまでいそしんでいる逆SEOも、雇われ工作員の仕業である可能性が高い。

つまり、彼らは金で雇われたネット専門の工作員しか使えない状態なのである。それは、村上密氏と杉本徳久氏がすでにクリスチャンから見放され、キリスト教界においてほぼ完全に支持を失って、誰からも応援を得られなくなっている様子をよく物語っている。)


1-10.「あざける者ども」や「兄弟たちの告白者」を彷彿とさせる村上密氏と杉本徳久氏の活動


聖書にはこうあります、「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい、そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4:7)。クリスチャンが悪に対して何も手を打たずにただ翻弄されることを奨励する箇所は聖書にはありません。

悪魔は「私たちの兄たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」(黙示12:10)です。クリスチャンに対して事実無根の誹謗中傷を浴びせるのは、悪魔の日課であることが分かります。

また、悪魔は嘘つきです、彼は「偽り者であり、偽りの父」であり、「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立っていません。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。」(ヨハネ8:44)
 
村上密氏と杉本徳久氏の提示する主張の多くの部分が、事実でなく捏造された情報に基づいており、嘘に満ちていることや、彼らが無実のクリスチャンに次々と異端者の濡れ衣を着せては攻撃し、自らにとって不都合な信者の「魔女狩り」を行なって追放を試みて来た様子を見るときに、彼らの活動は、一見、「教会のカルト化」問題を憂い、これと戦い、この問題を克服することを口実にはしているものの、実際の彼らの姿は、カルトと勇敢に闘う正義の味方どころか、むしろ、「兄弟たちを訴える者」である悪魔に近いことが分かります。

また、聖書には、「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。」(ユダ1:19)と警告されています。

村上氏や杉本氏が、ネット暴民とでも呼ぶしかない、ネトウヨのような暴徒化した工作員を大量動員しては、自ら敵とみなした信者を中傷・嘲笑・揶揄し、その印象と評判を貶めて来た様を見れば、彼らの活動が、同胞のクリスチャンへの思いやりや、信頼や、愛情や、尊敬に基づくものでなく、彼らの議論も、きちんとした事実や、知識に裏付けられたものでなく、彼らの活動は、ただ彼らの気に入らない反対者をあざけり、その評判を傷つけ、貶めることで、気に入らない他者を嘲笑し、吊し上げ、苦しめることを目的としており、その所業は、まさに聖書に警告されている「あざける者ども」の姿を彷彿とさせます。

さらに、村上氏や杉本氏の活動は、聖霊に基づくものではなく、むしろ、悪霊に基づくものであり、各地で信者同士の分裂や裏切りを引き起こし、己の欲望のままに人々を悪意によって嘲笑し、傍若無人にふるまっている点でも、聖書に記された「あざける者ども」の特徴にぴったり当てはまります。
 
「しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。」(ガラテヤ4:29)

とある通り、悪魔の日課は、己の罪をクリスチャンに転嫁して、クリスチャンを告発することにあります。罪を犯している者が、自分の罪を隠し、その責任から逃げるために、無実の者にその罪を転嫁して告発する、これは有史以来、悪魔がずっと神の僕に対して繰り返して来た行為であり、カインが己の罪を隠すために弟アベルに身代わりに罪を着せて殺し、ペニンナがハンナをいじめ、嫌がらせを行なった時代から、今も変わらず、悪魔に息吹かれた人々が用いている常套手段です。

すさまじい執念を込めて、何年間も、ターゲットとみなしたクリスチャンを無実にも関わらず告発し、傷つけ、苦しめることをライフワークとする村上密氏と杉本徳久氏の活動を見る時、こうした活動が、悪魔に直接、息吹かれたものであることを思わずにはいられません。


1-11.「闇は光に打ち勝たなかった」 「公然」は「密」の反意語 真実を提示することにより嘘を暴く

悪魔は「吠えたけるしし」のように、束の間、傍若無人にふるまい、隆盛を誇っているように見えるかも知れませんが、クリスチャンがこれを見て、怖気づいたり、気落ちする必要はありません。

「しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。こういうわけで、兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもなのです。」(ガラテヤ4:30-31)


このように、最終的に追い出されるのは、「肉にある者」であって、「御霊に従って歩む者」ではない、ということが、聖書には、明確に記されているからです。それは、悪魔は、信者が毅然と立ち向かえば、恐れをなして逃げ去ると聖書に書いてある通りです。悪魔と暗闇の勢力が盛んに述べ立てている嘘も、信者が毅然と立ち向かえば、当然ながら、後退して行きます。

聖書には裁判官に悪人を訴え続けたやもめの話も登場していますので、悪魔の卑劣な所業を卑劣であると指摘して、神に訴え続けることは重要です。

「まして神は夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。」(ルカ18:7-8)
  
信者が悪に対して立ち向かう最も有効な方法は、まずは光を当てることです。つまり、暗闇で行われている活動を公の光の下に、明るみに出すことこそ重要です。村上氏と杉元氏が暗闇で主導して来たサイバーカルト監視機構についても、全貌をまず明るみに出す必要があると考えます。

勘のいい人は「公然」つまり「光」が、「密」(=闇)の反意語になりうることが分かるでしょう。光を照射することで焼き尽くし、光に晒すことによって縛る、という方法が存在します。
 
暗くてジメジメしたところの好きな虫が清潔で明るい環境を避けるように、悪霊も公然たる光の下では活動できません。ですから、暗闇の勢力には光が当たるだけで相当な衝撃となります。
  
聖書に予告されている通り、隠されていたすべてのことはいずれ明るみに出されます。
「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。」(ルカ12:2)

人が暗闇で行った活動も、いつか必ず全世界の前で明らかにされる時が来ます。だからこそ、悪霊の働きである活動には関わってはいけないのです。いつか必ずそれが明るみに出されて重い責任を問われる時が来ますから。
 
「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、闇の中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する賞賛が届くのです。」(Ⅰコリント4:5)


クリスチャンの対処とは、このように、まずは嘘の嘘たる所以、悪の悪なる所以をきちんと論証し、光の下に置くところから始まります。異端の教えの分析も方法は同じであり、誰が有罪になるとかならないとかは結果論に過ぎません。

「兄弟たちを告発する者」に対して、クリスチャンが用いることのできる武器は、小羊の血と、あかしの言葉です。彼らが放つ全ての非難の毒矢に対しては、キリストが信じる者を義として下さった血潮を高く掲げることで対抗できますし、彼らの述べ立てる嘘に対しては、真理を証することで対抗できます。

これを続けるなら、必ず、「神の救いと力と国と、神のキリストの権威は現れる」のです。
 
「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。
 私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」(黙示12:10-12)   
 
 
 
1-12.嘘に満ちた村上密氏と杉本徳久氏の活動は、聖霊から来るものではない

いかに教会のカルト化問題を解決するとか、カルト被害者を救済するなどの美名を用いていたとしても、何年間もの長きに渡り、教団や教会の公式な手続きに従わず、教団とは公式に何の関係もない個人を暗闇で動員し、この世の司法の判断さえも尊重せずに、非合法なパワーを行使し続けて、政敵とみなした人物に誹謗中傷を浴びせて苦しめようとする人間が、正常なクリスチャン指導者と言えないことは、誰の目にも明白です。

村上密氏や、杉本徳久氏の繰り広げるカルト被害者救済活動は、あらゆる点から見て、聖書に基づくものではなく、神の聖霊から来る活動ではなく、危険な悪霊の働きです。人生を破滅させないためには、彼らの活動を支持しないよう警告しておきます。彼らには主の御手が置かれるでしょう。


1-13.十字架に敵対する者たちの最期は滅びである
  
最後に、真理を喜ばず、偽りを愛し、悪を喜んでいた人々は、神自らが惑わす霊を送って、彼らを欺きに引き渡し、それによって裁かれると、聖書にあります。

村上氏や杉本氏と一緒になってクリスチャンをあざける側に回っていた人々には、悔い改めないならば、どんなに重い罰が待ち受けていることでしょうか?
 
生ける神のみ手に落ちるのは恐ろしいことです(ヘブル10:31)
聖書の真理を侮り、神を侮る人々にはまことに恐ろしい結果が待ち受けています。 

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理に対する愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」(Ⅱテサロニケ2:9-12)

 
 「というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、
多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。
彼らの 思いは地上のことだけです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自分に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のかたらだと同じに変えてくださるのです。」(ピリピ3:18-21)


神は侮られるような方ではありません。十字架に敵対して歩んでいる者たちが、たとえ獅子のように吠えたけることがあっても、彼らがいつまでも正しい者たちを虐げて偽りの繁栄を享受し、勝者であり続けることは決してありません。悪者は草のように萎れて消え失せ、彼らの最期は恥であり、滅びとなります。

バビロンとは何なのか、それはバビロン焼却の煙がまもなく証明するでしょう。サイバーカルト監視機構という犯罪組織も、人数が激減して範囲が狭まって来ているため、個人が特定されるのも時間の問題でしかありません。残念ながら、いつかここに個人名をあげてそれぞれにどんな対処を行ったか公表しなければならない日が来るかも知れません。


さわやか読者よ、あなた方はずっと全世界の聖徒らの前で最期を観察されているのです、もう終わりが近いですよ、悪しからず…。

当ブログではこうした人々についての情報を収集し、随時、発表しています。ダウンロードは以下から可能です。こうした情報は捜査のためにも提供して行きます。
 
  


さわやか読者の活動履歴
      

サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)②(5月23日版)

サイバーカルト監視機構(杉本徳久編)➀(5月14日版)
        
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(後編)
 
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(中編)
 
さわやか読者・サイバーカルト監視機構版(前編)

優良さわやか読者賞(続)2月22日改定版

優良さわやか読者特別賞 2月10日改定版


 

 

吠え猛る獅子―村上密牧師と杉本徳久氏による教会とクリスチャンに対するいわれなき迫害

先の記事で何度もアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の現役信徒であったBr.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻が、身元を隠してKFCに入り、メッセンジャーとなり、Dr.Lukeと共に気に入らない信徒を中傷し、悪魔扱いして追放して来たことを述べた。 

Dr.Lukeはその後Taka氏に裏切られ、KFCはTaka氏の策略により何年もそれまで維持して来た会堂契約を失うに至った。さらに、Br.Taka氏がKFCから気に入らない信徒を中傷し、追放するにあたっては、名古屋のAG信徒(candy氏)、天声教会のメッセンジャーもこれに加勢したことを述べた。

こうした事件がまさか偶然に起きたものだとは、私は思っていない。むろん、このような信徒は早期に「兄弟姉妹」でないとみなすべきであった。そうしていれば、KFCももう少し被害を防げたかも知れない。

だが、今はKFCのことは脇に置いて、いずれにしても、これらの出来事の背景に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と密接な関係がある信徒らを存分に利用して、独自の目的を遂げようとした集団が確かに存在していたことは、ほとんど疑いの余地がないように思われる。

そもそもアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、私が最初のブログ「光の天使の罠」において同教団京都教会の牧師村上密が率いるカルト被害者救済活動を危険なものとして分析・批判してから、現在に至るまで、何年間も、あらゆる方法で私に嫌がらせを繰り返して来た。

中でも最たる嫌がらせの例は、現在すでにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もないはずの(カトリック信者と言われる)杉本徳久氏の個人ブログ「随想 吉祥寺の森から」を通して行われた私への誹謗中傷であった。

これについては幾度も反論記事を記して来た通りであるが、名誉棄損の可能性が極めて高い内容であり、相応の対処が必要であると考えている。

さて、直接の面識が全くない杉本氏がこのような私に対する一連の誹謗の記事を掲載するに至った背景には、当然ながら、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密氏の強い影響があった。

杉本氏は村上密氏のカルト被害者救済活動を支持している旨を自身のブログで明確に述べており、村上サイドの活動を擁護・防衛するために、私への弾劾記事を自身のブログに載せたのである。

そして、村上氏の方でも、教会のカルト化問題を扱うにあたり、彼が疑わしい(カルト化の疑いがある)とみなした多くの教会や牧師に対して、自身のブログを用いて批判するだけでなく、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もない一個人である杉本氏のブログを積極的に活用して、批判弾劾記事を掲載させて来た事実は、ここであえて述べなくとも世間によく知られている事実である。

私は当初から、村上密氏の率いるカルト被害者救済活動なるものは、ただ単に村上氏の個人の意志で始まったものであって、公に教団から認可を受けたものでなく、ましてプロテスタント教界全体においては何の権限も付与されておらず、それなのに、彼があたかもプロテスタントの教界全体を取り締まる資格を持っているかのように、自ら「危険」とみなした教会について、次々と信徒から情報収集をしては、その教会の牧師の頭越しに「被害者」からの証言を集め、これを基に他教会の人事に介入し、「疑わしい」教会に裁判をしかけて、教会を消滅に追い込んだり、あるいはブランチとして自分の教会に併合したりすることは、極めて大きな危険であることを指摘して来た。

このように、カルト被害者救済活動は、被害者を救済するという美名を口実に、実際には正当な権限を持たず、誰からもきちんと承認を受けていない一個人に過ぎない牧師が、ただ自らの正義感だけに基づいて、全プロテスタント教界の内情に介入してこれを取り締まろうとするものであるから、これは個人である牧師がプロテスタント教界全体に君臨しようとすることに等しく、極めて危険な試みであり、プロテスタントでそれまで守られて来た教会の自治にもそぐわず、むしろ、教会の自治の破壊に他ならないことを指摘して来た。

さらに、村上密氏は公の裁判やきちんとした法的手続きを通さずに、杉本氏のような個人ブログを利用して、事実確認もできていないうちに、疑わしいとみなした牧師や教会や信徒に対して次々と弾劾記事を掲載しては、「風評」(実際にはそのほとんどが中傷)を流布して行ったわけであるから、これがどれほどの危険を伴う、クリスチャンにあるまじき非聖書的な行為であるかは明白であった。

結局、村上密牧師の率いるカルト被害者救済活動とは、実際には、被害者の救済という美名を隠れ蓑としただけの村上密個人による異端審問であり、そうである以上、この活動は必ず暴走し、村上密氏やその支持者にとって不都合な言説を行なうすべての信者に異端者の疑いがかけられることになるのは必然であり、魔女狩りのような様相を帯びることは避けられないと警告して来たのである。

そして、実際にその通りになった。その一例として、彼らは、彼らの活動を批判する私に対して幾度も誹謗記事を掲載して来たのみならず、支持者を利用して他にもさまざまな方法で嫌がらせを繰り返してきた。杉本氏は自分のブログを使って、私のブログに対してひどいバッシングを行なったが、そのほかにも、私のブログには、長きに渡って読者を装った人々から嫌がらせが繰り返されて来たことは「さわやか読者賞」に記載した通りである。

しかも、そのような嫌がらせを行なう読者の多くは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信者であったり、あるいは村上密氏の活動の支持者であったりと、村上サイドと密接な関係がある者がほとんどであったことが分かっている。

そこで、このようなことを背景として見るならば、KFCで他ならぬアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信徒であったBr.Takaが引き起こした事件が、単なる偶然であったと考えるのは、あまりにも浅はかすぎるだろう。

長い間、村上密氏と杉本氏は私のみならず、KFCやDr.Lukeにも敵対感情を寄せていた。そのことは、彼らの記事内容から明白である。そこで、Br.Takaのようなアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒が身元を隠してKFCに潜入し、そこで分裂騒ぎを引き起こし、他ならぬアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団で行われているカルト被害者救済活動を支持しない信徒に次々異端の濡れ衣を着せて駆逐したことは、全く村上密氏や杉本氏の利益にかなったことであり、これを偶然としてとらえるには話が出来すぎている。

これまでにも、村上氏はさまざまな方法を駆使して、公にならない暗闇の密室において、自らが疑わしい(あるいは不都合)とみなした他教会の内政に干渉して来たことが指摘されている。ブログ「随想 吉祥寺の森」のコメント者を含め、独自のネットワークを利用して、彼らは他教会の信徒に接近して巧みに情報収集し、他教会の弱点や信徒の不満を探り出し、「被害」が発生しているとの証言をさせて、これを基に、他教会の人事に介入し、教会内秩序を転覆させるような活動を繰り広げて来たのである。

そうした活動の多くが、教団の規則などの公の手続きに則らずに、教会の牧師や信徒の頭越しに、信徒からの密告などに基づいて行われた。さらに、公の手続きに則り起こした裁判でさえ、村上サイドはきちんとした証拠を挙げられないまま、敗北している事実がある。

このことは、彼らがきちんとした証拠に基づかず、私刑としか言えないような方法で、不都合な教会や信徒に制裁を加えて来たことを意味する。そのような危険な活動を暗闇で繰り広げる牧師が、KFCにだけは手を出さなかったと考えるのは、いささか子供じみた発想だと言えるだろう。そこで、他ならぬBr.Takaのような人物がKFCにやって来たのは、明確な目的を持った上での接近であったと考えるのが妥当である。

さて、村上密牧師サイドが、ネトウヨ的なクリスチャン読者を使って幾度にも渡り、私を恫喝して黙らせようとしてきた目的の最たる理由の一つが、鳴尾教会問題にあったと見られる。

(鳴尾教会とは、当時の鳴尾純福音教会、現在の鳴尾キリスト福音教会である。)

彼らはただ私が彼らの活動に賛成しなかったことが気に食わず嫌がらせを繰り返しただけではなく、私が鳴尾教会の事件の目撃者・証言者であればこそ、不都合な事実を公表されないために、私を執拗に恫喝して沈黙に追い込もうとして来たのだと考えられる。

村上密氏が鳴尾教会の問題にどれほど固執しているかは、彼が繰り返し裁判で敗北しながらも、未だにブログ等でこの問題を持ち出しては鳴尾教会サイドを批判するのをやめない態度にもよく表れている。

おそらく、鳴尾問題は、村上氏にとって致命的なアキレス腱なのであろう。裁判で敗北が確定しても、彼の中ではこの問題がなお終わりを告げていないのである。それはただネット上で虚偽の情報を流布して裁判に敗北した事実を隠し、偽りの覇権を握り続けたいというだけの動機からではない。

村上氏はそういった動機を超えたもっと深いこだわりをこの教会に対して持っているように見受けられる。つきつめて考えて行くと、やはり、村上密牧師の出世のルーツがこの教会にあるためと考えられないこともない。
 
よほど村上氏は津村氏を擁護したい(あるいは、津村氏に心を支配されているために彼をかばおうとする)のだろうと思われてならない。なぜなら、そうでなければ、こんなに年月が経っても津村氏の不祥事が公になることを恐れる理由がないからだ。

鳴尾教会が混乱状態に陥ったのは、村上氏が主張しているように、現在の牧師夫妻のせいではない。すべての原因は、鳴尾教会の以前の牧師であった津村昭二郎氏の不祥事問題にある。そして、津村氏は村上氏の義理の父である。私はかつてブログで、この不祥事問題を記した教団文書を取り上げた。(次回の記事でも再度取り上げる。)おそらくは、この不祥事こそ、村上サイドが最も明るみに出したくないものだと考えられる。なぜなら、それが公になると、鳴尾問題のすべての原因が、津村昭二郎牧師の牧会の至らなさにあったことが明らかになってしまうからである。
 
もし津村氏の後ろ盾がなければ、村上密氏がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団でこれほど急速に勢力を拡大することはなかっただろう。なぜなら、当初、彼は単に統一教会を脱会しただけのクリスチャン歴のほとんどない信徒に過ぎず、さらにはカルトについても専門教育を受けたわけでなかったからである。もし彼が津村氏の娘である恵子氏との婚姻によって、教団で相当に権威とみなされていた津村氏の後ろ盾を得ていなければ、彼がどんなにカルトの専門家として名乗り出たとしても、周りの牧師や信徒がそれに耳を貸したかどうかは分からない。

同教団では、100人を超える教会を形成することはかなりの功績とみなされる。四十年間、鳴尾教会を牧会し、100人以上の教会に成長させたことは、教団では津村氏の手柄とみなされていた。 
 
ところが、鳴尾では、その津村氏の不祥事が問題にされて彼は辞職に至った。その際、この事件の顛末が信徒に公表されたが、津村氏の責任問題は、結局、曖昧なままに幕引きがはかられた。そこには、この事件が公になると、一番、困る村上氏が教団に積極的に働きかけて事件をうやむやなまま終わらせようとした影響力が見られる。

そもそも、津村氏の不祥事にまつわるこの一連の事件には常に村上氏の影が付きまとっていた。配布された文書からは、村上氏が当時からあの手この手で教団内人事(他教会の内政)に積極的に干渉していた様子が見て取れるのである。当時の村上氏の若さを考えると、彼が教団内でそんな権力を持っていたことは、極めて異常な事態であり、当時から彼が津村氏の威光を積極的に利用して、教団内の人事を思うがままに動かそうとしていた様子が見て取れる。

村上氏は義理の父をかばい、教団内で不名誉な失脚をさせないために、鳴尾教会での事件をうやむやなまま、津村氏の辞職によって幕引きを図ろうとしたが、そのことがきっかけとなって、鳴尾教会の信徒は教団の不透明・不誠実な対応にいたく幻滅・失望した。長年、指導者と仰いで来た津村牧師に信頼を裏切られ、また、次期牧師と期待を寄せていた若い伝道師夫妻をも失い、教団からも何ら誠実な回答を得られないまま、鳴尾の信徒は指導者をみな失ったのである。

このようにして混乱に投げ出されたことが鳴尾問題の始まりであり、その後も、教団に失望した鳴尾信徒の離散はやまなかった。

しかし、村上氏は鳴尾教会のこうした事情には見向きもせず、その後も、津村氏が面目を失わないで済むように自らの牧会する京都教会に引き取り、何事もなかったかのように活動を続行させた。こうしたことは全て、村上密自身のため、彼の保身のため、村上氏が津村氏の後ろ盾を失って、教団内の地位を失わないために行われたことだと理解される。 
 
こうした事件がきっかけとなって、当然ながら、鳴尾教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団にひどく不信感を抱くようになった。教団は津村牧師の面子を潰さないために、責任の所在を明らかにすることなく、事件をうやむやにし、混乱の中に鳴尾を放置したからである。

その後、現在の山田牧師夫妻が赴任すると、今度は、村上密氏は、すべてのゴタゴタの原因を山田夫妻に押しつけてしまった。鳴尾信徒が減少を続けたのも、津村氏の事件がきっかけなのではなくて、山田夫妻の牧会がまずかったせいで起きたことであるかのように見せかけて責任転嫁したのである。

その責任転嫁を正当化するために、村上密氏は山田夫妻、特に牧師であった山田夫人に異端の嫌疑をかけて、魔女のようなイメージを作り上げた。(彼らは私に対しても、「随想 吉祥寺の森」の記事等を通して同じような悪人のイメージ作りを行ない、また、次の記事で述べるように、鳴尾教会にかつて赴任した伝道師の夫人にも同様に嫌疑をかけて、異端者のイメージを作り上げていた。そうしたことから、特に御言葉を宣べ伝える知的な女性に対する憎しみと、彼女らに異端者の濡れ衣を着せた上での排斥は、彼らの常套手段であったことが分かる。まさに「魔女狩り」である。)そして、あたかも夫妻が異端の影響を受けているために牧会が失敗して教会が混乱に陥っているかのようなイメージを作り上げようとした。しかも、そのイメージ作りのために、上記したアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もない(カトリック信者と思われる)個人ブログ「随想 吉祥寺の森」を利用して、そこに山田夫妻に関するでっちあげの異端スキャンダル記事を掲載させて、風評を広めて行ったのである。

このような教団の対応に不信感を募らせ、幻滅し続けていた鳴尾教会は、ついにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からの離脱を決定したが、これに対して憤った村上密氏は、文化庁に異議申し立てを行なったり、鳴尾教会に恫喝裁判をしかけたりして、正当な離脱を「乗っ取り」と主張し、まるでこの教会を消滅に追い込むことを目的とするかのような激しい嫌がらせを繰り返した。

たとえこのようなケースでなくとも、キリストの福音を宣べ伝えることを主たる目的とする教会が、裁判などしかけられた日には、どれほど伝道活動の妨げとなり、牧師も信徒も戦うことに疲れ、信仰生活が危機にさらされるか分からない。それでも、村上氏は、福音を優先して裁判を控えることをせず、さらには自らしかけた裁判が原因で引き起こされた可能性が極めて高い鳴尾の信徒の減少をも、相変わらず一方的に山田夫妻の責任に転嫁しては夫妻と教会を非難し嘲笑し続けた。まるで本心から教会が消滅することを願っているとしか思えない行動である。

このような村上氏の行為からは、彼の保身と、私怨の深さは感じられても、キリストの福音を宣べ伝えて、魂の救いを第一に願う牧師としての心が完全にかけていることを感じざるを得ない。何よりも、同胞であり、同じ教団の仲間であった教会や牧師を訴える彼の行動は、到底、クリスチャンとしての愛から出て来たものであるとは思えず、むしろ、「兄弟たちの告発者」である悪魔の憎しみを想起させるものである。

そして結局、教団からの離脱を決めた鳴尾教会サイドに対する村上氏による文化庁への異議申し立ても裁判も、すべては敗北に終わった。それを通して、村上サイドの主張には何らの確かな証拠もなく、むしろ、言いがかりに過ぎなかったことが明らかになった。むろん、彼が山田夫妻について主張していた異端の疑惑も、教団内でさえ認められなかったのである。

村上氏のこうした一連の行動から分かるのは、たとえ負けると分かっていても、結論を先送りするためにとにかく恫喝裁判をしかける、たとえ疑惑が証明できないと分かっていても、まずデマをまき散らすことによって、政敵とした相手の疑わしいイメージを作り上げる。まずデマを流布して、政敵の印象を貶めておいてから、次に具体的な手続きに入り、事件が長期化して事実が明らかになるころには、自分が流布したデマなどなかったかのように知らぬふりを決め込む、という極めて悪意に満ちた無責任な態度である。

たとえ村上サイドが裁判で敗北したとしても、裁判をしかけられただけで教会はダメージを受ける。そのようにして村上サイドは、裁判に勝つことを目的としているのではなく、可能な限り永久に政敵とみなした相手に精神的ダメージを与えるためだけに、因縁をつけ、絡み続けているのだと見受けられる。苦痛を与えることが目的なのであって、正義を打ち立てることなど全く眼中にはないのである。ただ彼の保身と、責任転嫁と、自分に盾突く人間を苦しめるためだけにすべては行われているのが明らかである。いかに彼が不誠実で冷酷な人間であるかが、そのことからよく分かるのである。さらに、それらの行為は信徒らの信仰生活を著しく妨害する行為であるが、牧師を名乗っている人物がそれを行なうことの恐ろしさは誰の目にも明白である。

にも関わらず、教団はこうした顛末をきちんと見据えた上で、本当に村上氏の主張が正しかったのかどうかを検証することなく、山田夫妻を除名することによって、村上氏をかばった。結局、津村氏の時と同じことが繰り返されたのである。

このようなアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の不誠実かつ心無い真実性に欠ける対応によって、鳴尾教会がどれほど深いダメージを受けたか分からない。それでも、今になっても、村上サイドはこの教会への非難をやめない。

私から見ると、もし普通の牧師であれば、たとえ誰が悪かったのかという問題を脇に置いたとしても、自分の義理の父が牧会していた時に起きた事件が原因となって混乱している教会に赴任する牧師には、申し訳ない、頑張ってほしいという応援の気持ちを持つのが当然であろうと思う。

ところが、村上氏には、津村氏の不祥事を隠したいという気持ちしかなく、混乱を収拾するために尽力させられている鳴尾の後任牧師に対するねぎらいの気持ちは皆無なのである。

そもそも教会が続いただけまだましだっただろう。それまでの経緯を見れば、教団に不信感を持たれても、それは仕方がない。とにかく存続しただけ良かったのである。教団に残るか抜けるかは、教会が自主的に決定することであり、部外者には誰にも止められることではない。ところが、かろうじて続いたその教会が、教団を離脱することを決めると、今度は裁判によって消滅に追い込むことを目的とするかのような行為に及ぶわけであるから、村上氏がどれほど同業者の牧師に対して冷酷で、心無く、ただ己のプライドしか考えない自己保身的な人間であるかは、あらゆる人の目に明白である。

繰り返すが、津村事件が尾を引いたため、鳴尾の多くの信徒は傷ついたまま離散したのであり、この私も、津村氏の事件がなければ他教会へ行く必要もなく、村上氏のいる宗教トラブルセンターに出向く必要もなかったであろう。そして宗教トラブルセンターは私に対して何の解決も提示しなかった。それは鳴尾に残った信徒に対する村上氏の心無さと全く同じ対応である。
 
津村氏の事件は、実に多くの鳴尾信徒の運命を狂わせた。だが、村上氏はそんなことは微塵も認めず、未だに鳴尾教会に嫌がらせを続けているだけでなく、私についても今に至るまで「吉祥寺の森」の読者等を存分に利用して、執拗に悪影響を及ぼそうと企てている。鳴尾教会で津村氏の不祥事が明るみに出されてから今年で十四年目である。どれほどすさまじい執念で彼が敵対者を追い続けているか、この歳月からもよく分かるだろう。
 
そこから当然、彼は自分の教会やブランチから離反したカルト被害者や、信徒たちにも、同じ冷酷な対応を繰り返しているのだろうと想像できる。自分の傘下から出て行く人間に対しては、恐ろしく冷酷であり、その後の人生の解放を願って祝福するどころか、生涯に渡って追跡し、嫌がらせを続けて、人生の足を引っ張り続ける、執念のような憎しみが感じられる。

村上密氏は、津村氏が原因で起きた鳴尾教会の信徒の減少について、あたかも山田夫妻が信徒の心を十分に顧みなかったかのように主張して非難しているが、そのようにして他教会の信徒の減少を牧師の牧会の不備として責めるなら、一体、自分の教会のブランチの信徒の離反やカルト被害者の離反に対して、神と人との前でどう言い訳するつもりなのだろうか。
 
村上氏の一連の態度から分かるのは、彼は自分の責任というものを一切認めず、自分に都合の悪い事実は全て他人の責任に転嫁し、他人を悪し様にけなしながら我が身をかばい、自分だけは決して間違わず、正しいかのように主張して、正義の仮面をかぶり、自己正当化を続けているということである。

そのようにして自分の見せかけの正しさを主張するためならば、たとえ自分のもとに身を寄せたカルト被害者であっても名誉を辱め、自分に敵対する人間にはどんな汚名を着せて人生を妨害しても平気なのである。そのようにまで己の立身出世と保身しか念頭になくなった冷酷無慈悲な性格は、牧師として到底、あるまじきものであり、クリスチャンに相応しいものとも思えないが、こうした評判は、すでにカルト被害者の間でも周知の事実となっている。

にも関わらず、沖縄などでも、村上氏と一緒になって活動している新垣氏などが、被害者からの批判や反対をすべて抑え込んでおり、被害者は沈黙を強いられているということも、すでによく知られている事実である。私に対して村上サイドが仕かけて来た嫌がらせと恫喝の手法を見れば、他のカルト被害者たちが何をされているかも容易に想像がつくのである。
 
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、村上密氏は果たして何者なのかという問題をよく考えるべきであろう。そもそも、彼は本当にクリスチャンなのか。キリストの福音を宣べ伝えることを目的とする牧師と言えるのか。彼は一体、何を目的に牧師として活動し、教団に入り込んだのか。なぜ教団からますます正義が失われ、信用が失われ、より多くの信者がこの教団に失望幻滅して離れ去るような方向で動いているのか。

宗教は政界とは異なる。他人のトラブルを飯の種として、政略結婚によって出世の階段を駆け上がって行くことが可能なほど甘い世界ではない。政界ならば立身出世のために何をしても法にさえ触れなければ許されるかも知れないが、聖書の御言葉に従わない牧者には、神から厳しい裁きがあることは聖書に警告されている。何よりも、村上氏自身が、偽預言者に対して厳しい警告を発しているのであるから、それを自身に当てはめるのは当然だろう。

神の御名を利用して生計を立てていながら、同業者を告発することを生業とし、身内には甘く、気に入らない同業者や他教会は容赦なく訴えて、裁判により潰し、併合する。自分のもとへ一度でも身を寄せた信徒であっても、反対者となれば容赦なく非難し、人生の立ち直りを妨害する。そんな村上氏の態度には、到底、キリストの愛もなければ、クリスチャンとしての高潔さもなく、信仰も見られず、とてもではないが、牧師に相応しい態度だとは言えない。強欲な牧師、他人の教会まで潰し、乗っ取ろうとしている牧師とは一体、誰のことだろうか。

何よりも、牧師という職業は、キリストの福音を宣べ伝えることを第一とするものであって、異端の取り締まりが第一になっている時点で、すでに異常なのである。

最近、起きた神社の油まき事件にしても、これをきっかけに村上密氏はメディアに注目されたが、彼は危険な行為に従事している同業者を立ち直らせるために、牧師として説得することを第一とするのでなく、むしろ同業者を警察に売り渡し有罪に追い込むことで自らの手柄としようとした。そんな牧師がキリスト教界で好意的に受け入れられるはずがないのは明白である。

己の不祥事はすべてうやむやにしてごまかし、同業者のトラブルと失敗だけは厳しく責め立てて暴露し、自分をかばうためならば、仲間の存在しないトラブルさえもでっちあげて他者の信仰生活を妨害する。教会を潰し、信徒を減少に追い込み、信仰生活を妨げて、それを糧に有名になり、専門家として名を挙げる。それが牧師の取るべき態度なのか、まともな牧師活動と言えるのかどうか、そこからもう一度、考えてみる必要があろう。

村上密氏がこれまでクリスチャンの間で煽り続けて来た対立、憎しみ、争い、何よりも教会の破壊、これには必ず厳しい報いが伴い、神がお答えになると私は思う。信徒を神のみもとへ導かず、魂の救済を第一とせず、ひたすら人間的な対立を煽っては、争いを糧に利益を得て来た村上氏に、果たして信仰はあるのか。クリスチャンは、まずこの人物が本当にキリスト者と言えるのか、クリスチャンの仲間と言えるのか、そこからきちんと再考する必要があるように思う。
 
私は物心ついた頃から、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を知っており、当時から、この教団には疑わしい非聖書的・異端的な教えが流入していたが、それにしても、当時はここまでひどくはなかった。村上密氏の登場以前には、教団を離脱した信徒や教会に対して、教団が徹底的に嫌がらせを続けて信仰生活を妨害し、長年に渡る裁判にまで及んで離脱を阻止したり、移って行った先の教会の信徒にまで接近して嫌がらせを続けたなどの話は聞いたことがない。

その当時、たとえアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を批判して出て行く信徒がいたとしても、反対者に対してこれほど執拗な陰謀工作を暗闇で多年にわたって巡らすような指導者は誰一人としていなかった。(当時から、教団を批判して去る信徒たちはかなりいたし、この教団はペンテコステ派に属さない他の教団からも常に批判を向けられていたので、批判や反対は日常茶飯事であり、誰もそのようなことに特別に目くじらを立てたることはなかった。まして報復するなど論外であった。)

脱会者に対する言語を絶する壮絶な嫌がらせは、統一教会や、創価学会などの新興宗教にはおなじみの手法であっても、プロテスタントのキリスト教界にはなじみがない。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団以外では、今でもそのようなことは行われていないであろう。教会を離脱するときに、牧師と信徒間での多少のトラブルはあるかも知れないが、牧師が教会を訴えた話など他教団では聞いたこともない。

統一教会を脱会した村上密牧師は、統一教会流の脱会者や反対者への陰湿ですさまじい妨害•中傷•陰謀工作を、プロテスタントのキリスト教界に初めて持ち込んだ人物である。彼はこうして、統一教会を脱会し、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に入って、クリスチャンを名乗るようになってからも、かつての統一教会流のカルト的二元論的思考を捨てられず、それをそっくりキリスト教界に持ち込んで今日に至っている様子が見て取れる。そして、そんなもはや正義の味方からはほど遠い残忍で利己的で真実の欠ける自分の姿を、未だに聖なる存在であるかのように勘違いして、他のクリスチャンの名誉を貶めたり、争いをしかけて平和な信仰生活を妨害し、力づくで反対者を黙らせ、気に入らない教会を取り潰して併合することを「牧会活動」だと勘違いしているのである。正常なクリスチャンにとっては大変な迷惑な存在でしかない。そのような異常な活動が牧師のあるべき「牧会」からはほど遠く、神の御名にふさわしいものでもないことは、クリスチャンでなくとも理解できるものと思う。教会の目的はキリストの福音、すなわち、神の御子の贖いによる罪の赦しを宣べ伝えることにあって、贖いを語らず人を罪に定めることにはないからである。
 
次回、鳴尾教会と、村上サイドによっていわれなく濡れ衣を着せられた信徒たちの名誉のために、津村昭二郎氏が辞職に至った経緯を記した教団内文書を公開し、改めて村上サイドの主張の危険な特徴と虚偽性について考えたい。

<続く>